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うつ病・神経症「マインドフルネス・森田療法のススメ」 

マインドフルネス仏式瞑想・森田療法を使った「元うつ病患者カウンセラーによる」新しいタイプのカウンセリング(コーチング) 

人は善人になれません。それでよし。

「仏凡同居」(ぶつぼんどうご)


私達は、仏(善人)の側面と
凡(利己的であさましい側面)は
一体だという事です。

仏と凡夫の側面を平等に、等価に観る事
その人をちゃんと正確に観たということです。

まず自身の「仏と凡」を
腰を据え、しっかり観ますと
他者の「仏と凡」がしっかり観えてきます。

*マインドフルネス仏式瞑想により
まず自身の深層心理から観ていくのが順番です。



脳の視点で言いますと、

私達の脳は、
原始脳(脳の古い皮質、大脳辺縁系など・・)と
大脳新皮質は「セット」ですね。

大脳辺縁系・脳幹など・・・
これらは「睡眠や食事、好きや嫌い、危険か安全か、などなど・・」
私達が生命活動するのに必要な部分です。


脳の一番上の部分、大脳新皮質、特に前頭葉は

私達が
「主に理性的・社会的・道徳的な判断(その他様々な機能はありますが)」を
するのに必須な部分です。


どちらかだけを切り離すことはできません。

「私の脳は、旧皮質・古皮質はありません」という人いますか?
逆に「私の脳は大脳新皮質が無いんですよ~」という人いますか?


爬虫類とかでしたら
大脳新皮質が無いのは分かりますが

私達人間は生物学的に
脳の古い皮質(原始的な欲望的なところ)と
新しい皮質(理性的・道徳的な部分)は、
「強制的にセット」です。


ゆえに仏道で言う「仏凡同居」は
脳科学的に言って正しいかと思います。



さて、心にトラブルを抱えがちの方は
物事を一極視するパターンが多いかと思います。

人の善の部分だけみて
その人を分かった「つもり」になって・・・

その後、その人の「あさましい部分」を見てしまった時!
「裏切られた!!」と絶望したり。。


逆に、その人の悪い部分・あさましい部分だけを見て
その人の全てを分かったつもりになって・・・
その人を攻撃し、悪口をまき散らしている人もいる。

しかし、その人を別の人の視点から観ると
別の人にとっては、非常に道徳的で善の側面もあります。
ある人にとっては、非常に「ありがたい」人だったり。



心にトラブルを抱えがちの方は
上記のような一例のように
「物事を一極視」するパターンが多いかと思います。
*客観視(メタ認知)が外れた原始的な状態ですね。

ゆえに感情論にまかせ「事実誤認」を起こしやすく
ストレスが「やたら」溜まりやすい。

行きつく先は、

過剰な脳内ストレス物質により

慢性的ストレス脳。
つまり脳の病気になり、

うつ病など心の病が現れます。


マインドフルネスや森田療法は
仏教哲学から生まれた心理療法。

仏教哲学は物事を「一極視するクセ」を
行動療法により修正していきます。


『人は善と悪が一体なのは事実なんですから、
善や悪という「事実」を平等に観察します』



こういった「モノのとらえ方」で生活していきますと
「いらぬストレスや心理トラブル」を抱える事が少なくなります。

脳内に余計なストレス物質を流さずに済んでいきますから
やがて脳内環境が、クリーンな状態になってまいります。

ゆえに脳の病気も治まってまいります。
心理療法は薬物療法とは違った角度から入ります。


また心理療法はオマケとして
社会人の生涯学習の側面もあります。

こういったお稽古をしていくことにより

脳がチューンナップされ、
会社で業績が上がったり、夫婦関係が良くなったり・・

なにより人生で
余計なトラブルに巻き込まれにくくなるのが
メリットですね。

薬物療法とは違い、心理療法は
「一石二鳥」という事です。



最後にこんなお話で締めくくります。

無理に「完璧な善人」でいようとする人達。
いわゆる「偽善者」の脳科学。


脳は古い皮質があるのは事実なのに、

それを完全否定し、全き善人でいようとする。
これは脳科学的に言って不自然です。

これを偽善者といいます。

*これは案外、私達の業界
心理カウンセラーやセラピスト、その他、援助職系に多い。
深層心理では
自身の潜在意識下の「悪」から、目をそらすための
ツールとしてやっている人もいる。

これを心理学では「メサイアコンプレックス」と言います。
あと生真面目なうつ気質の方にも多い。
(新米カウンセラーも何年もやっている
と治っていく方が多いですが)



もちろん
善や道徳を否定している訳ではなく

私達の脳は
「原始的な(あさましい)部分も、しっかり搭載されていて、
離れる事は出来ない」ということを
「見て見ぬフリするのではなく」深く知った上で、
道徳的でいようとする事が大切であり、
望ましい形かと思います。

これを脳でいうならば、
原始脳(欲望など)の暴走を
「主に前頭前野」がしっかり管理・監督できている状態・・
と言うと科学的ですね。



鎌倉時代の名僧、親鸞聖人のことばで
こんな言葉があります。
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

厳密に解釈すると長くなりますので、あえて
マインドフルネス的な解釈で簡潔に言いますと、


誰しもの中に「悪」が搭載されているのに
自分を「善人」と勘違いしている人より、
(人は度々こういった錯覚に陥ります。加減を超えると病気になります)

自分の中に「悪」がしっかり搭載されているのを
よく客観的に理解(俯瞰)している人が一番救われる。

という言葉です。



今日は仏教学や脳のお話など、
難しかったと思いますので

簡単に一言でまとめますと。


コテコテの善人(ぶっている人?)は
脳の視点から言って不自然です。

「チョイ悪(ワル)」でよいということです。

十牛図10
*(十牛図より)


心優しきチョイ悪
「聖なるチョイワル」です(合掌)



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