マインドフルネス・森田療法を使った、「元うつ病患者カウンセラーによる」新しいタイプのカウンセリング(コーチング)
ここのところ、うつ病・薬物療法などの
お話が続きましたので

また仏教学のお話に戻ります。


「私は仏教のお話の方が好きです・・・」
というクライエントさんの声もありますが(笑)


一応、私の本職は
心理カウンセラー・コーチですので、

・心理学・脳科学の視点
・仏教瞑想家の視点

この二つの視点から
当ブログは構成されております。



はい。今回のお話は
だいぶ放置していたカテゴリーを更新します。

数年前、マインドフルネス仏式瞑想が深まると
「イッツ・ショータイム」です。

・・・と書きましたら、

やたらそれに「とらわれて」しまう方が
続出してしまいました。


「イッツ・ショータイムは
何が起きるんですか!?」・・・と。


ゆえに今回はその
「とらわれ」から
解放するお話を書きます。


====================
「マインドフルネス仏式瞑想を
5時間くらい続け、
瞑想が究極まで深まると、どうなるのか?」

====================

について語ってまいります。




先に結論から言っておきますと、
「何も起きません」


え!?


それって・・・どういうこと!?


「はい。何も起こらないという事が
真に分かることが、
瞑想が深くなったという事です」



ひょっとして奇跡みたいな事が
起きる事を期待していたのですか?

魔法の光みたいなものが降ってきて
たちまち心の病が治る!ような
おとぎ話みたいなものを期待していたのですか?


そういった得体の知れないものを
得たいのならば

カルト宗教にでも
行かれた方がよいかと思います。
(ただし自己責任の上で)



仏式瞑想を5時間くらい続け、
究極まで深まりますと


「何も起きないという事が
真に分かります」




円相.1





はい。今日のお話は
以上終わり。






え?



ここで終わってしまうと困りますか?


*当プログラムの生徒さん、
上級者の方々は
ここまで読んで、これが何なのかが
すぐ分かると思います。



では分かりました

どうしても分からない・・・という方に、
もう少し嚙み砕いてお話しいたしましょう。


何も起こらないという真実を
真に分かりますと


諸々の事象は
移り変わっている・・・という
「諸行無常をベース」にした

因(原因)+縁(諸条件)=果(結果)→因(原因)+縁(諸条件)=果(結果)→因(原因)+縁(諸条件)=果(結果)→因(原因)+縁(諸条件)=果(結果)→因(原因)+縁(諸条件)=果(結果)→・・・・・・・・・・・・

・・・・・・という法則(ダンマ)・事実があるだけ。



その法則に身をゆだねきりますと



neko.png


お母さんネコにくわえられ、
安心しきった子ネコのように

(クロネコヤマトのマークのようですね(笑))


地球というパズルの1ピースに。
地球の法則にゆだねきった状態。


(般若心経より抜粋)
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智・亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想・・・

生じる事もなく、滅する事もなく、清らかになる事も汚れる事もない、
増える事もなく減ることもない。五蘊も六根も六境も六識も無い・・・
(もちろんうつ病・神経症、心の病も、もはやナンセンスです)
~中略~

「遠離一切顛倒夢想」

何か奇跡が起きるのでは!?という
一切の顛倒夢想(てんとうむそう)から
離れる事ができる。



親ネコにくわえられ
安心しきった子ネコのように

地球というパズルの1ピースに。
地球の循環物である私

一即多多即一


別に気分が
高揚するわけでもない。

奇跡が起きるわけでもない。

何が起きるわけでもない。



ただそこにある
Being あることモード

また「ある」ということにも
とらわれず

Let it be・・・
「ある」がまま

ただそれだけ



仏式瞑想者は
こんな解釈ですが、

例えばクリスチャンの方でしたら
「主にゆだねる」でもよいですし、

浄土真宗の方でしたら
「弥陀にゆだねる」でもよいです。


宗旨宗派による解釈は何でもよいです。
真意さえ分かっていれば。


=================
「うつ病・神経症(不安障害)
心の病、人生の病が
”本当に治る”ってなんだろう?」
=================


これを頭の理屈ではなく、

日々の仏式瞑想の修練により
身体で潜在意識で分かった時

長年のうつ病・神経症が
根治している時になります。


もし何年も瞑想していて
いろんな心理療法や修行を行ってきて、

うつ病・神経症が治っていない、
生き辛さが治っていない、
何か毎日悶々としている・・・のならば

やり方が、
間違っているのではないかと思います。


本やCDの知識だけ、
頭の理屈(屁理屈)だけの理解に
なっていませんか?


*仏教学・心理学の事や
マインドフルネスに関する
頭でっかちの「知識」はたくさんあっても

肝心のものが治っていなけば、
その知識は「ガラクタ」です。
捨ててしまいましょう。

もちろん知識は
とてもよいのですが、

それに「とらわれている」ならば
それはゴミと同じです。



そして最終的に、

心の病が脳の病気が
どうのこうの・・・ではなく、

そんなことより、

あなたの人生が何なのか?が
分かることでしょう。


~~~~~~~~~~~~~~~~~
ただ、私達在俗の人間は
今世で完全に悟る事は不可能ですので、

心の病から解放され、一生を朗らかに
普通に生きられればそれでよいです。


会社員、主婦、学生、社長さん・・・

在俗の立場、その身そのままで
出来る修行
を行えばよいのですよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~



しばらく放置していたカテゴリー。
マインドフルネス初級~上級、
久しぶりに更新しました。

今回は少し上級者向けのお話でした。


数年前に書きました、

「瞑想が深まると、
イッツ・ショータイムになります」のところ・・・

に対するお問い合わせが
度々ありますので今回書きました。


イッツ・ショータイムは
「何も起こらない事が真に分かることが
イッツ・ショータイムです」


ひょっとして、何か奇跡が起きるのを
期待していましたか?


奇跡は起きません。

そこにはただ、この世の普遍法則
「諸行無常」と「因(縁)果の法則」があるだけです。


*諸行無常
諸々の事象は移り変わっている

*因果の法則
因(原因)+縁(諸条件)=果(結果)→・・・・・



・・・・すると、

~~~~~~~~~~~~
当たり前の日常こそが
「イッツ・ショータイム」です

~~~~~~~~~~~~



日日是好日

十牛図10
↓(十牛図10番目:日鄽垂手:聖なる凡人)
http://shinriryouhou.blog2.fc2.com/blog-category-27.html



はい。5時間くらい、

いや。2~3時間くらいでもいいから
坐ってみて。


*ただし瞑想というものは
独学では危険ですので、

必ず専門家にマンツーマンで
ついてもらって
行ってください。



今回はどちらかというと
上級者向けのお話ですので、


初級~中級の方は
焦らなくてもいいから、

自分で出来る事から
行えばよいですよ。

プログラムで学んだ基礎を
淡々と行っていくことです。




ブログランキング参加しております。応援クリックお願いします
(Ctrlキーを押しながらクリックしますと画面の処理が早いです)

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

人気ブログランキングへ
2クリックしていただいた方・・ご支援ありがとうございました。



当心理カウンセリング、心理療法(マインドフルネス・森田療法)
お問い合わせ・お申し込みは、コチラからどうぞ。

http://mindfulness-arugamama.com/mail





☆ 当ブログ・メルマガ・ホームページは
「著作権により保護されています」
著者の許可なく、無断転載・転用(一部引用も含む)は
固くお断りします。



FC2blog テーマ:メンタルヘルス - ジャンル:心と身体

【2016/11/02 00:38】 | マインドフルネス 「初級~上級」
トラックバック(0) |

承認待ちコメント
-


奇跡
オリーブ
ショウセイさま。
毎週欠かさず拝見しています。
今回のブログは久々の仏教学でしたね。私もイッツショータイムが気になっていた一人だったので(笑)、今回はその後が聞けて良かったです。感想としては、そう来るだろうなというのとがっかりが少しです。
奇跡とは、いま目の前にある事。自分がこの世で生きている事。その事に気づく事、生きる視座が変わる事が大切なのだと思います。かくいう私も日常の大部分は自我に埋もれてこの世の物語の中で右往左往していますが、時々ふとそうなのかなと思える瞬間があります。そう言えば以前読んだ本で、仏伝では人間が人間としてこの世に生まれるのは、ウミガメがこの広い海で顔を出した時に、たまたま浮き輪の中から顔を出すくらいの確率なのだそうです。
長くなりましたが、これからも日々精進を続けていきたいと思います。

Re: オリーブさんへ
ショウセイ
> ショウセイさま。
> 毎週欠かさず拝見しています。

オリーブさん。お久しぶりです。


> 今回のブログは久々の仏教学でしたね。私もイッツショータイムが気になっていた一人だったので(笑)、今回はその後が聞けて良かったです。感想としては、そう来るだろうなというのとがっかりが少しです。


ははは。そうでしたか。
事実を事実のままとらえるのが、智慧の目・パンニャーです。

がっかりの心は、渇愛系か嫌悪系かを俯瞰して
淡々とサティを入れていきましょう。


オリーブさんには、
これをプレゼントします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「いろはうた」(山中訳)

色はにほへど散りぬるを
(A・諸行無常)
我が世たれぞ常ならむ
(B・無我)
有為の奥山今日越えて
(瞑想で得た、そのA・Bの智慧をもって煩悩をクリアし)
浅き夢見じ酔ひもせず 
(酔っぱらっているのではないから、
現実・事実をしっかり観て生きていく。奇跡はおきない。
「 奇跡を求めなくていい生き方 」をしていきます)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


> 奇跡とは、いま目の前にある事。自分がこの世で生きている事。その事に気づく事、生きる視座が変わる事が大切なのだと思います。かくいう私も日常の大部分は自我に埋もれてこの世の物語の中で右往左往していますが、時々ふとそうなのかなと思える瞬間があります。


そうですね。素晴らしい解釈です。

五官から入力される情報を
どうとらえ、どう認識するかは自分次第です。

その時オリーブさんの精神は自由です。


>そう言えば以前読んだ本で、仏伝では人間が人間としてこの世に生まれるのは、ウミガメがこの広い海で顔を出した時に、たまたま浮き輪の中から顔を出すくらいの確率なのだそうです。


因+縁=果→因+縁=果・・・

相応の果は→相応の因になるだけです。
そして諸々の事象は縁にしたがって生じ、縁にしたがって滅する。

その事実・法(ダンマ)があるだけです。


> 長くなりましたが、これからも日々精進を続けていきたいと思います。

はい。怠ることなく精進を続けてまいりましょう(合掌)



不思議です
sati@
ただ変化するという根本の自然法則なのに。
これだけ生きてきて、身についていないのは
本当に不思議なことです。



知っても、身についていない。

人間って…

人類も進化の途中で仕方ないのでしょうかね。

出家の方から見ると
根本法則を無視しているのだから、
その状態で作ったものはほとんど間違っている。
そんな感じですね。

『この世の物語』にまみれると
すぐ自我やら煩悩やらの方が先に立ち上がってきます。
相当辛いことなのに、なぜかこっちがデファクトスタンダード。

少しはマシになってきましたが、
まだまだ。
サティを大切に育てていくしかなさそうですね。


このようなやり取りをさせて頂いている
ショウセイさまに心から感謝します。

訂正
sati@
間違っているものと言うよりは
どうでもいいものと言うべきでした。

ごめんなさい。

Re: sati@さんへ
ショウセイ
> ただ変化するという根本の自然法則なのに。
> これだけ生きてきて、身についていないのは
> 本当に不思議なことです。


マインドフルネス仏教瞑想は、
当たり前に起こっている事実・普遍的法則(無常・苦・無我)を
ただ当たり前に観ること。それだけの事です。

事実に妄想が混入し、あるがままモノが観れなくなりますと、
無知・無明となります。

ストレスを抱えがちの人は、今・現在・この瞬間の事実ではなく、
事実をあるがまま観ようとせず、妄想の中に生きようとします。

そこから認知療法で言うところの「認知のゆがみ」が生じ、
それによりストレスフルな毎日になり、結果、脳が病気になり、
自ら生き辛くしています。


> 知っても、身についていない。
> 人間って…

はい。それを頭の理屈ではなく、
潜在意識レベルに浸透させるのが、この瞑想法です。
精進していきましょう。


> 『この世の物語』にまみれると

この俗世は映画のようなものです。
映画は目から入ってくる光や音情報を、脳が情報処理しているだけです。

私達の俗世も、五官から入力される情報をどう処理するかによって
目の前の事象が天国にも地獄にも変わります。

天国や地獄はあの世ではなく、あなたの心の中にあります。


> すぐ自我やら煩悩やらの方が先に立ち上がってきます。

とは言っても、私達在俗の人間は
煩悩に巻き込まれることもあります。

こういったカラクリを
知っているのと知らないのでは全然違います。

カラクリを知らないがゆえに、
煩悩が炎上し苦しむのを、無知(モーハ)といいます。


> 少しはマシになってきましたが、
> まだまだ。
> サティを大切に育てていくしかなさそうですね。

はい。淡々と精進を続けてまいりましょう(合掌)


> このようなやり取りをさせて頂いている
> ショウセイさまに心から感謝します。

いえいえ。それではこの辺で。


コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2016/11/02(Wed) 12:58 |   |  #[ 編集]
奇跡
ショウセイさま。
毎週欠かさず拝見しています。
今回のブログは久々の仏教学でしたね。私もイッツショータイムが気になっていた一人だったので(笑)、今回はその後が聞けて良かったです。感想としては、そう来るだろうなというのとがっかりが少しです。
奇跡とは、いま目の前にある事。自分がこの世で生きている事。その事に気づく事、生きる視座が変わる事が大切なのだと思います。かくいう私も日常の大部分は自我に埋もれてこの世の物語の中で右往左往していますが、時々ふとそうなのかなと思える瞬間があります。そう言えば以前読んだ本で、仏伝では人間が人間としてこの世に生まれるのは、ウミガメがこの広い海で顔を出した時に、たまたま浮き輪の中から顔を出すくらいの確率なのだそうです。
長くなりましたが、これからも日々精進を続けていきたいと思います。
2016/11/04(Fri) 10:26 | URL  | オリーブ #lElAeA3I[ 編集]
Re: オリーブさんへ
> ショウセイさま。
> 毎週欠かさず拝見しています。

オリーブさん。お久しぶりです。


> 今回のブログは久々の仏教学でしたね。私もイッツショータイムが気になっていた一人だったので(笑)、今回はその後が聞けて良かったです。感想としては、そう来るだろうなというのとがっかりが少しです。


ははは。そうでしたか。
事実を事実のままとらえるのが、智慧の目・パンニャーです。

がっかりの心は、渇愛系か嫌悪系かを俯瞰して
淡々とサティを入れていきましょう。


オリーブさんには、
これをプレゼントします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「いろはうた」(山中訳)

色はにほへど散りぬるを
(A・諸行無常)
我が世たれぞ常ならむ
(B・無我)
有為の奥山今日越えて
(瞑想で得た、そのA・Bの智慧をもって煩悩をクリアし)
浅き夢見じ酔ひもせず 
(酔っぱらっているのではないから、
現実・事実をしっかり観て生きていく。奇跡はおきない。
「 奇跡を求めなくていい生き方 」をしていきます)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


> 奇跡とは、いま目の前にある事。自分がこの世で生きている事。その事に気づく事、生きる視座が変わる事が大切なのだと思います。かくいう私も日常の大部分は自我に埋もれてこの世の物語の中で右往左往していますが、時々ふとそうなのかなと思える瞬間があります。


そうですね。素晴らしい解釈です。

五官から入力される情報を
どうとらえ、どう認識するかは自分次第です。

その時オリーブさんの精神は自由です。


>そう言えば以前読んだ本で、仏伝では人間が人間としてこの世に生まれるのは、ウミガメがこの広い海で顔を出した時に、たまたま浮き輪の中から顔を出すくらいの確率なのだそうです。


因+縁=果→因+縁=果・・・

相応の果は→相応の因になるだけです。
そして諸々の事象は縁にしたがって生じ、縁にしたがって滅する。

その事実・法(ダンマ)があるだけです。


> 長くなりましたが、これからも日々精進を続けていきたいと思います。

はい。怠ることなく精進を続けてまいりましょう(合掌)

2016/11/04(Fri) 11:18 | URL  | ショウセイ #-[ 編集]
不思議です
ただ変化するという根本の自然法則なのに。
これだけ生きてきて、身についていないのは
本当に不思議なことです。



知っても、身についていない。

人間って…

人類も進化の途中で仕方ないのでしょうかね。

出家の方から見ると
根本法則を無視しているのだから、
その状態で作ったものはほとんど間違っている。
そんな感じですね。

『この世の物語』にまみれると
すぐ自我やら煩悩やらの方が先に立ち上がってきます。
相当辛いことなのに、なぜかこっちがデファクトスタンダード。

少しはマシになってきましたが、
まだまだ。
サティを大切に育てていくしかなさそうですね。


このようなやり取りをさせて頂いている
ショウセイさまに心から感謝します。
2016/11/04(Fri) 13:57 | URL  | sati@ #-[ 編集]
訂正
間違っているものと言うよりは
どうでもいいものと言うべきでした。

ごめんなさい。
2016/11/04(Fri) 14:18 | URL  | sati@ #-[ 編集]
Re: sati@さんへ
> ただ変化するという根本の自然法則なのに。
> これだけ生きてきて、身についていないのは
> 本当に不思議なことです。


マインドフルネス仏教瞑想は、
当たり前に起こっている事実・普遍的法則(無常・苦・無我)を
ただ当たり前に観ること。それだけの事です。

事実に妄想が混入し、あるがままモノが観れなくなりますと、
無知・無明となります。

ストレスを抱えがちの人は、今・現在・この瞬間の事実ではなく、
事実をあるがまま観ようとせず、妄想の中に生きようとします。

そこから認知療法で言うところの「認知のゆがみ」が生じ、
それによりストレスフルな毎日になり、結果、脳が病気になり、
自ら生き辛くしています。


> 知っても、身についていない。
> 人間って…

はい。それを頭の理屈ではなく、
潜在意識レベルに浸透させるのが、この瞑想法です。
精進していきましょう。


> 『この世の物語』にまみれると

この俗世は映画のようなものです。
映画は目から入ってくる光や音情報を、脳が情報処理しているだけです。

私達の俗世も、五官から入力される情報をどう処理するかによって
目の前の事象が天国にも地獄にも変わります。

天国や地獄はあの世ではなく、あなたの心の中にあります。


> すぐ自我やら煩悩やらの方が先に立ち上がってきます。

とは言っても、私達在俗の人間は
煩悩に巻き込まれることもあります。

こういったカラクリを
知っているのと知らないのでは全然違います。

カラクリを知らないがゆえに、
煩悩が炎上し苦しむのを、無知(モーハ)といいます。


> 少しはマシになってきましたが、
> まだまだ。
> サティを大切に育てていくしかなさそうですね。

はい。淡々と精進を続けてまいりましょう(合掌)


> このようなやり取りをさせて頂いている
> ショウセイさまに心から感謝します。

いえいえ。それではこの辺で。
2016/11/05(Sat) 06:48 | URL  | ショウセイ #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック