マインドフルネス・森田療法を使った、「元うつ病患者カウンセラーによる」新しいタイプのカウンセリング(コーチング)
西洋式の自己啓発法、
心理学・哲学でよくありがちな、

・自我の確立
・自我同一性(アイデンティティー)
・我思うゆえに我あり


仏教心理学の視点では
この自我に対する「執着」
強ければ強いほど

「それに比例して」苦しみは
膨れ上がっていきます。



「え!?いきなり何を言うんですか!
私達は子供の頃から学校で

そういった教育で育ってきたんです。
それの何がいけないんですか!?」


もちろん自分を確立し
大切にするのは
良い事かと思います。

・・・ですが、
なんでもモノは加減で


自我自我自我・・・
わたし、わたし、わたし・・・

それに対する「執着」が強いと、
ここに行きつきます。


=============
私は愛される存在である
私の思うがままの人生
私は大切な存在・・・
=============

意識、無意識


潜在意識にこの概念が
強ければ強いほど



人から愛されなかった時、

大病など人生の
突然なトラブルで、

思うがままに
人生が進まなくなったとき、

会社などで左遷され、
大切にされない時・・・

(これらは俗世では
よくあることです)


~~~~~~~~~~~~
苦しみは
倍返しでやってきます。

~~~~~~~~~~~~


それは耐えがたい苦しみになり

そんな状態が長く続きますと、
慢性的ストレス脳になり

やがて脳の病気になり

うつ病・神経症(不安障害)を
発症する人もいます。



「え!?仏教心理学は
何て悲観的なんですか?

では出世して
成功すればいいじゃないですか!?」


======================
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者もつひにはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。
(平家物語より)
======================


どうぞ成功して
この世を謳歌してください。
それはとても良い事です。

・・・ですが、盛隆を極めても
必ず物事には衰退が訪れます。

「自我」の思うようにはならない
現実がやってきます。




さて、話を戻しますと

森田療法では
こういった苦しみを
「我執の病理」といいます。

当然こういったタイプの苦しみに
化学薬品(抗うつ薬など)は

気休めにはなりますが・・・
治す事はできません。


かといって私達は
山に籠る仙人や
聖者ではないのですから、

完全に我(が)を捨てた、
「無我」にはなれません。

私達俗人は
社会生活があります。


自我はこうとらえてみましょう。

こんなお話しをいたします。


たとえば、
太古の昔、人類は
「貨幣」が無かったので

物々交換をして
交流していました。


そこでもっと平等に
円滑に交流するために

「貨幣」というツールを作りました。
(紀元前7世紀ごろ:諸説あり)


それによって物々交換をしなくても
円滑に平等に
交流が出来るようになりました。


ですが貨幣はあくまで
「ツール」「手段」「媒介物」であって

本質は
「物と物(価値と価値)との交換」です。


21世紀現代では、
この「物・価値・貨幣の概念」は
かなり複雑になっていきますが、

経済のお話は
ここでは割愛します。



この例えは

私達の「自我」と呼んでいるものは、
「貨幣」「電子マネー」
あるいは「アバター」のようなもの。

元々無いものを
勝手に脳内で
バーチャルに作り上げ、

実社会を便利に生きていくための
「あくまでツール」です。


もう少し分かりやすく
お話ししますと、


私達の身体は
約60兆個の細胞が
集まって出来ています。

さらに細かく、ミクロにしますと
「わたし」とは、
「素粒子のあぶくの集合体」です。


現れては消える、粒子であり、さざ波。
それが素粒子です。
それが「わたし」の本質。

そして紛れもない
「科学的事実」です。


ただ、実社会で
「おい。そっちのあぶくさん」
「こっちのあぶくさん」・・・
ですと、社会生活が出来ないので

先ほどの「貨幣」の話では
ありませんが、

「自我(〇〇さん)」という
便利なツールを使っているだけです。


ですが、
俗世で生活していますと、

その「貨幣(自我)」が
本質・本体であるかのように
錯覚してしまいます。


さらにその貨幣(自我)に
異常に執着してしまい、

===============
私は愛される存在である
私の思うがままの人生
私は大切な存在

「私を愛して!」「もっと私を!」
「何でやねん!なんで私だけが!」
「私は素晴らしい人生を歩むはず」
===============

「わたし、わたし、わたし・・・」
「もっと、もっと、もっと・・・!」と、

自我が暴走するわけです。


そして思い通りにならない
人生に絶望し

うつ病や神経症を
発症する人もいます。


もっとひどいケースですと、

学校に怒鳴り込んでくる
モンスターペアレンツや

店舗などでみっともない
マネをするクレーマーなど。


あれらは
完全に精神の病気かと思います。

「自分(自我)大好き人間の
行きつく なれの果て」


診断上は「健常者」ですが、
本当の意味での「病人」かと思います。



西洋式のよくありがちな
哲学・心理学・思想・教育は
この「自我を強化」していきますが、


対して森田療法や
マインドフルネス仏式瞑想など

私達アジア、東洋の
哲学・心理学・思想は

西洋と真逆の視点で

「惺惺著」
(せいせいじゃく:禅の言葉)

「自我(貨幣)の錯覚から
目を覚ますもの」



自我に対する執着が
緩めば緩むほど

まるで人生の手かせ足かせが
外れたように
自由に生きられるようになります。

「わたし」という
着ぐるみを脱ぎ捨てたら
人生が軽くなります。



ただ、何度も言いますが
私達は聖者ではありませんから、
完璧に無我には至れません。

*また誤解の無いように。
お金が無いと、
この俗世では生きていけません。

ビジネスマンはしっかりお仕事をして
お金を稼いでください。
(ですが貨幣は本質ではなくツールです)



本日のお話のように

自我は社会で
便利に生きていくための

「あくまでツール」だという事を
自覚して生きていきますと

「我執の病理」は治っていきます。


自我は元々無いものを
脳内で勝手に作り上げた概念です。

今回のお話の「貨幣」と同じ。
自我は便利なツールであり、
手段であります。

ですが『本質』ではありません。


実際、自我は「今までの記憶の集積」が
脳内情報(ニューロンの連結パターンと電気信号)として
大脳皮質に保存されいる「電気情報」です。


私達が自我と大切にしているものは、
まさに電子マネー、
もしくはアバターのようなもの。

それほど執着するに
値しないものかと思います。

(もちろん電子マネー・ツールとしての
利用価値はありますが)


自我・・それから派出する
「おかしなプライド」などに執着して

怒り、落ち込み、自殺する必要も
無くなります。


例えば、具体的に言いますと
おじさん世代が諸事情により転職し、

転職先で、
年下に注意された事により怒り、

落ち込み、うつ・神経症に
なる必要もありません。


自我は脳が作った幻、電気情報、
電子マネーのようなものですので、

そんなものに命をかけて
執着することの
バカバカしさを悟り

偏屈な歪んだプライドも緩くなり・・
素直に学ぶ態度が
自然に出来るようになってきます。

私(自我)から解放され
真の自由な人生が始まります。


かえってそういった姿勢が
他の方々の心を動かし

あなたに感化される人も
出てくるでしょう。


どこの転職先でも衝突して
煙たがられていた人が

瞑想のお稽古により、

どこの職場に行っても
上手くいくようになっていきます。


瞑想生活していきますと、
「自我」に対する とらえ方が変わり、

この世を、ひょうひょうと生きていく事が
出来るようになっていきます。



出家僧には、もう少し
違った角度からのお話になりますが、

在俗の人達は、
社会生活がありますので

自我はこんな感じで
とらえてみるとよいかと思います。
(特に神経症の方は)


うつ病や神経症(不安障害)
ストレスに苦しむ人達は、

「自我(わたし)」のとらえ方を
少し変えてみますと、
楽になっていくと思います。



森田療法の素晴らしいところは
大正~昭和初期に、

すでに、ここの問題
(我執の病理)に着眼して
対応していました。


昨今の心理学の世界では
西洋式のコテコテの
「自我自我自我・・」で

限界を感じている人達が
この森田療法を
再評価
する動きがあります。


また、この西洋には無い
斬新な視点の森田療法は

今アメリカや台湾などで
静かなブームだそうです。


マインドフルネスや禅が
数年前からアメリカで
爆発的に流行り出したのも

こういった背景があります。



~「まとめ」~


自我は社会生活を
便利に生きていくための

「あくまでツール」であり、
「本質」ではありません。


ですが、その
自我が本体だと錯覚し

執着し、とらわれる事を
「我執の病理」といいます。


「そこから」
生き辛さが始まり

それにより、毎日コルチゾールなどの
ストレスホルモンにさらされ続け、
慢性的ストレス脳になっていき・・

やがてその負荷に
耐えられなくなりますと
脳の病気になり、

うつ病や神経症に
発展します。


惺惺著!(せいせいじゃく)
(自我の錯覚から目を覚ます)


自我は私達の
本質ではないと気付きます。


ではその「本質」は・・・?


それは言葉や文字を超越した
「不立文字」の世界。

ご自身で、日々の仏式瞑想の
お稽古、実践により・・・・・


・・・・・・・・ハッ!?と

気付きます。


円相.1
(仏教画)


頭の理屈ではなく、身体で
潜在意識レベルで分かる事。


そこから本当の回復が
始まります。

一時的な「寛解」ではなく、
真の「根治(完治)」にたどり着きます。



もう一度言います。

うつ病・神経症は
「寛解」ではなく

「”根治”」します。


惺惺著
~新しい生き方を始めよう~

今、この瞬間
人は生まれ変われます。




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【2012/08/17 02:13】 | 自我(我)ってなあに?
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なるほど
オリーブ
いつもこのブログを拝見しています。
自我はこの世を生きるための便利なツールという考え方は、とても分かりやすい例えで、なるほどと思いました。まだまだ実感するには至っていませんが。
遅い時間での更新、お疲れ様です。お体の方ご自愛ください。

Re: オリーブさんへ
ショウセイ
オリーブさん。お久しぶりです。


> 自我はこの世を生きるための便利なツールという考え方は、
とても分かりやすい例えで、なるほどと思いました。
>まだまだ実感するには至っていませんが。


そうですね。在俗には在俗の仏教の学び方があります。
出家が説く仏教は、在家(一般人)には使いづらい所がありますので、
こんなお話にまとめあげました。

今回のお話は、特に神経症の方々は自我にとらわれ
人生身動きが取れなくなり、様々な心理症状を出し苦しみます。

そういった生き辛さから解脱するために、
今回のお話が参考になれば幸いに思います。

ですが、究極的には毎日の瞑想のお稽古で、
身体に潜在意識レベルに浸透しなければ、いざという時に使えません。
精進してまいりましょう。


> 遅い時間での更新、お疲れ様です。お体の方ご自愛ください。

お気遣いありがとうございます。
オリーブさんがお幸せでありますように。



ゆた
初めてブログを拝見させて頂きました。
現在、心気症で苦しんでおりますが、ブログを読みなんだか、心が軽くなるような気持ちになっております。私は自分に執着しすぎなのかもしれません。まだまだ時間はかかりそうですが考え方、生き方を変えていくように頑張ります。

Re: ゆたさんへ
ショウセイ
ゆたさん。コメントありがとうございます。


> 初めてブログを拝見させて頂きました。

はい。いらっしゃいませ。


> 現在、心気症で苦しんでおりますが、ブログを読みなんだか、
心が軽くなるような気持ちになっております。
私は自分に執着しすぎなのかもしれません。
まだまだ時間はかかりそうですが考え方、
>生き方を変えていくように頑張ります。


ブログを読み、そこまで理解出来るのは素晴らしいです。

後は具体的な心理技法のお稽古により、
身体に潜在意識レベルに浸透させていきます。

「自我のとらえ方」が変わってきますと、
「自我のとらわれ」が緩んでいき、

それに連動して、自分は〇〇病なのでは!?という
心気症独特のとらわれも緩んでいきます。

詳しいお話は、またいつかブログにて論じてまいります。
それではまたいらしてくださいね。


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コメント
この記事へのコメント
なるほど
いつもこのブログを拝見しています。
自我はこの世を生きるための便利なツールという考え方は、とても分かりやすい例えで、なるほどと思いました。まだまだ実感するには至っていませんが。
遅い時間での更新、お疲れ様です。お体の方ご自愛ください。
2016/09/29(Thu) 09:44 | URL  | オリーブ #lElAeA3I[ 編集]
Re: オリーブさんへ
オリーブさん。お久しぶりです。


> 自我はこの世を生きるための便利なツールという考え方は、
とても分かりやすい例えで、なるほどと思いました。
>まだまだ実感するには至っていませんが。


そうですね。在俗には在俗の仏教の学び方があります。
出家が説く仏教は、在家(一般人)には使いづらい所がありますので、
こんなお話にまとめあげました。

今回のお話は、特に神経症の方々は自我にとらわれ
人生身動きが取れなくなり、様々な心理症状を出し苦しみます。

そういった生き辛さから解脱するために、
今回のお話が参考になれば幸いに思います。

ですが、究極的には毎日の瞑想のお稽古で、
身体に潜在意識レベルに浸透しなければ、いざという時に使えません。
精進してまいりましょう。


> 遅い時間での更新、お疲れ様です。お体の方ご自愛ください。

お気遣いありがとうございます。
オリーブさんがお幸せでありますように。
2016/09/30(Fri) 01:01 | URL  | ショウセイ #-[ 編集]
初めてブログを拝見させて頂きました。
現在、心気症で苦しんでおりますが、ブログを読みなんだか、心が軽くなるような気持ちになっております。私は自分に執着しすぎなのかもしれません。まだまだ時間はかかりそうですが考え方、生き方を変えていくように頑張ります。
2016/10/03(Mon) 01:23 | URL  | ゆた #-[ 編集]
Re: ゆたさんへ
ゆたさん。コメントありがとうございます。


> 初めてブログを拝見させて頂きました。

はい。いらっしゃいませ。


> 現在、心気症で苦しんでおりますが、ブログを読みなんだか、
心が軽くなるような気持ちになっております。
私は自分に執着しすぎなのかもしれません。
まだまだ時間はかかりそうですが考え方、
>生き方を変えていくように頑張ります。


ブログを読み、そこまで理解出来るのは素晴らしいです。

後は具体的な心理技法のお稽古により、
身体に潜在意識レベルに浸透させていきます。

「自我のとらえ方」が変わってきますと、
「自我のとらわれ」が緩んでいき、

それに連動して、自分は〇〇病なのでは!?という
心気症独特のとらわれも緩んでいきます。

詳しいお話は、またいつかブログにて論じてまいります。
それではまたいらしてくださいね。
2016/10/03(Mon) 06:08 | URL  | ショウセイ #-[ 編集]
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