マインドフルネス・森田療法を使った、「元うつ病患者カウンセラーによる」新しいタイプのカウンセリング(コーチング)
マインドフルネス仏式瞑想
禅語シリーズ「達磨安心」
(だるまあんじん)
~心の病を治すには?~


*これは禅の世界で有名な
「達磨安心」のお話ですが、

うつ病や神経症(不安障害)の方々に向け、
少し脚色して執筆しますので、あしからず。


はい。それではこの禅語について
一緒にお勉強していきましょう。


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昔むかしのこと・・
(6世紀はじめごろ)

達磨(だるま)大師のもとで
仏式瞑想を学んでいた

神光(慧可:えか)
という人がいました。

*達磨大師=仏教瞑想のマスターです。
日本で「だるまさんが転んだ」で親しまれていますね。
政治家が当選すると、
達磨人形に目を入れる、あの達磨さんです。


ある日、慧可が、
達磨さんに向かって、

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「私は、心が鬱で不安で
しょうがないんです。
達磨先生。何とかしてください!」

-------------------------------------------------

すると達磨先生が

「ふむ。心が不安かね。
では、その『心』を私の目の前に出して、
ここに置いてください」

「ここに置いてくれれば、私が
トンカチやカンナなど、
工具を使って治してしんぜよう」


慧可は
「え!?心を出すって・・・
心は形が無いので出せません!」


達磨先生は

キミ。よく分かっているじゃないか。

たとえば、外傷や骨折、
おできなどの吹き出物、
これらは他人(医師)が治します。

しかし、形無き心(精神)の病は、

他人に治してもらうものじゃなく、
自身で治すものなんですよ。



仮に、どれだけ親切な他人や
スーパーマンがいたとしても
しょせん他人です。

あなたの人生や痛みの
肩代わりまで出来ない。

待っていても
誰も助けてくれませんよ。

「奇跡や救いを待つ」のをやめよう。


自分の人生は、
自分の心の問題は
自分で解決するんです。

そのために、日々私は
仏教瞑想の理論と技術を
君に指導しているんです。


ここは、大切なところですよ。

ここの理解が出来ていないと、

巷でよくある、オカルト教祖や
詐欺師の奇跡?に「治してもらおう」と・・・

いかがわしいもの(霊感商法など)にすがり、
そして騙されます。


もしくは心理療法・
カウンセリング遍歴を続け、

あの人は私を治してくれなかった・・
あの人も私を治すことは出来ない!と、

「他人のせい」にし、
いつまで経っても治りません。



ですが、それはその通りですよ。

「世界中の誰も
あなたを治すことは出来ません」

『なぜなら、心の病を治すのは
”あなた本人” なのですから』


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達磨先生はグッと
言葉を強め・・・
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「自分の人生は、自分の心の病は
誰も助けてくれません。
自分でケリをつけるんです。
そのための具体策が、仏式瞑想です」



慧可はハッと
頭に電撃が走りました。



私は今まで、心の問題、
自分の人生の問題、心の病を、

他人に何とかしてもらおうという
気持ち(依存心・依頼心)があった。。


私は今まで
達磨先生に付き従い
何を学んでいたんだ・・・

今日から気持ちを入れ替え、
他に依存せず、自分で治していく技術を
身につけていこう!


達磨先生の仰る通りで、
たとえ、カリスマに救われたところで
それは治った事ではない。

それは単なる「依存」である・・・と。


仏典の中で、
お釈迦様が亡くなられる時に説かれた
最後の法話、
「自灯明、法灯明」

「他を拠り所としないこと。
自分自身と法(仏式瞑想法)を
拠り所として生きていきなさい」

(仏教経典:涅槃経より)


慧可は、
改めてそれを再認識した。

達磨先生ありがとう!
目が覚めました。

心が「安心」しました。


・・・その後、慧可は
仏式瞑想に熱心に打ち込み

みごと長年の不安(神経症)を
治しました。


そして時代は流れ・・・

慧可は達磨先生の教えを
一番正確に学び
達磨先生の跡を継ぎました。

これが日本の
禅宗(臨済宗・曹洞宗など)の流れの
「第二祖」である。


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今日のお話は、
少し脚色して書きましたが、

この「達磨安心」のお話
「不安な心を、ここに出してごらんなさい・・のところ」は
事実です。


一般的な禅問答では、
「その形無き(実態無き)心にとらわれるな」
という解釈が一般的です。


しかし、禅問答というものは
正解はありません。

その人の人生のためになれば、
どんな解釈でも結構です。


(ただし、よほどおかしな
危ない解釈でなければ)


伝統的な寺院では
歴史の中で形骸化され、

禅問答が
「なぞなぞや儀式、屁理屈」に
なってしまいがちですが、

(一般の人が意味不明な
「なぞなぞ」は要りません。
それは現代では役に立ちません)


本来の禅問答は

--------------------------------------------------
「その人の人生のヒントになり、
迷いが晴れれば、それでOK」

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私はこういった
「実践的禅問答」を推奨します。

禅問答に
「イノベーション・新しい風」を
起こしましょう(合掌)



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【2015/12/20 08:03】 | マインドフルネス瞑想が「上手くいかない典型例」
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