マインドフルネス・森田療法を使った、「元うつ病患者カウンセラーによる」新しいタイプのカウンセリング(コーチング)
「マインドフルネスは
リラクセーションではありません」



*ちなみに、日本にリラクセーションという言葉が広まった時、
なまって、リラク「ゼ」ーションと広まってしまいました。
心理臨床などの専門書では、正しくはリラク「セ」ーションです。


さて、当カウンセリングにいらっしゃる
クライエントの皆様方は
(または当ブログ・メルマガの読者の皆様方は)

心の病になり、今まで様々な

「いわゆる」リラクセーショントレーニングを
されてきたのではないでしょうか?


例えば、病院等で行っている
シュルツ式の自律訓練法。

また一般的に知られている、
イメージ的な瞑想法など。。


ところで・・・


そういった類のもので
「あぁ。気持ちがよい・・」と脳が錯覚し

「本当に問題が根本解決しましたか?」
「うつ病・神経症がよくなりましたか?」
「本当に生きるのが楽になりましたか?」


======================
おそらく「気持ちがよい」のは
終了し、数時間程度ではないでしょうか?

======================


次の日、職場に行ったら
「またいつもの、
鬱の自分に戻っている」

一般的な
リラクセーショントレーニングは

「気持ちよい??
脳の錯覚が解けたら元の木阿弥」

「つまり、何の解決にもなっていない」


皆様は、こういったものに、
うんざりされて

当カウンセリングに
いらしたのではないでしょうか?



マインドフルネスプログラムを
実施されていて
なかなか上達しない方は

「気持ちよい・・」を求める
今までのやり方が
クセになってしまっているケースが多いです。

渇愛(煩悩)が大暴走し、
余計心の病が悪くなるかと思います。


当プログラム
(マインドフルネス・森田療法)を
受けられる方々は、

そういった「気持ちよい」を求める
今までの方法論を、
全て「捨てる事」をおすすめいたします。


===================
それが何の役にも立たない事は

今まで身をもって
体験されてきたのではないでしょうか?

役に立たない方法論を、
なぜまた繰り返すのでしょうか?
===================


そういった「刹那的な快楽」
「すぐに移り変わっていく快楽に」
何の価値があるのでしょうか?


当サイトで何度も言いますが、

マインドフルネス仏式瞑想は
リラクセーションではありません。


このマインドフルネスという
伝統的な瞑想法は、

「幻の気持ち良さより、
具体的な治しをオススメします」



『いわゆる気持ちよいだけの、無意味な
リラクセーションとは根本的に違います』



では、マインドフルネスや森田療法など
西洋にはない、東洋の方法論は

うつ病・神経症に対し、
どのようにアプローチしていくのでしょうか?

うつ・神経症的気質の方が抱える
「慢性的な不幸感」
どのように解消していくのでしょうか?


<続く>



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【2013/12/20 06:25】 | マインドフルネスはリラクセーションではありません
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森田療法 「気分を改善せず、
うつ病・神経症が治る」

いやな気分よこんにちは
~Feeling Bad~
 
抑うつ克服法



さて、前回は「マインドフルネス」と
「一般的なリラクセーション」の違いを説明しました。
http://shinriryouhou.blog2.fc2.com/blog-entry-922.html


今回のお話は

マインドフルネスや森田療法は
どのようにして、うつ病や神経症(不安障害)に
アプローチしていくのか?


について、お話をいたします。



マインドフルネスや森田療法、
東洋の心理療法は、

前回のお話のような、
いわゆる西洋式のやり方・・

無理やり作った
「不自然な気持ちいい」(という脳の錯覚)ではなく、
全く違う角度から「心の病、真の回復」に導きます。


マインドフルネスや森田療法は

「気持ちよくならず、
うつ病・神経症から回復します」

「気分を改善せず、
うつ病が根治します」



*ですが、結果それで気分が良くなる場合もありますが、
そこはあまり価値はありません。
気分が良くなっても、ならなくてもどうでもいい事です。


今日の気分が
良かろうと悪かろうと
どうでもいいこと。

それよりも、
そういった気分を何とかしようとせず、
その気分のまま「あるがまま」

「今日、今、この瞬間、何をしようか」に
価値観のシフトチェンジしていきます。

*(「気分本位ではなく目的本位」
森田療法のことば)



実は健常者も、うつ病患者も
「等しく」気分の波があります。

うつ病・神経症の方は
「これに異常なほど執着し、敏感になり」

気分を常にMAXにしようと、
捏造しようと「頑張ります」

ですがそれで・・・気分が
本当に改善しますか?

まず不可能です。
出来ないでしょう?



うつ病・神経症の方は
「今日の気分に絶対的な価値」を置きがちです。

今日の気分が少しでも悪いと、
意味不明な焦燥感にかりたたれ、

何とかハイテンションにしようと、
栄養ドリンクを飲んだり、サプリを飲んだり、
抗うつ薬を飲んだり・・

様々な悪あがきをして
人工的に気分をハイテンションにしようとします。


しかし、それは虚しい。

気分は人工的に
ハイテンションにはなりません。

そして思い通りにならない・・という不全感から、
いつもの「抑うつ感」が発生します。



しかし、マインドフルネス仏式瞑想者や

当カウンセリングで
森田療法をお勉強された方は、

日々移り変わる気分に
あまり価値を置かなくなります。


気分に価値を置いていませんので

今日の気分が悪かろうと、
あまり落胆しませんし、
ハッキリ言えば「どうでもいいこと」

それよりも「現在・今・この瞬間」何をしようか?


気分が悪ければ
気分が悪いがまま
(少し効率は悪いですが)

今日の業務を淡々とこなします。


気分が良ければ
気分が良いがまま
今日の業務を淡々とこなします。


気分が良くても悪くても

今日一日、淡々と生きていく能力を育てるのが
マインドフルネスや森田療法の生き方です。


自然にゆだねきった時
「あるがまま」が完成します。

私達も地球を構成する細胞の一つ
「一即多 多即一」
(仏典・華厳経より)


そうなりますと
うつ病・神経症・・・という
症状すらもナンセンスになります。

もうあまり興味がないので
”うつ病・神経症くん”には
勝手にやっててもらいます。


心は気象と同じ。

週間天気予報は
晴れが続きましたが

週の中ごろ雨になり、

週の後半は曇りになって
また晴れになりました。

心も気象も「それだけのこと」



例えば雨が降っていて、
イヤだから

外に出て「キエーーーーッ!」と
念力と頑張りで
雨を止めようとする人いますか?


雨が降っていたら、普通皆さん

雨が降っているがまま、傘をさして
会社に行ったり、日常生活しますね。


でもうつ病・神経症の方は

心の雨が降り出した時
「キエーーーーッ!」と

念力と意味不明な頑張りで
雨を止めようとします。
超一流のコントかと思います。


マインドフルネスや
森田療法が熟成していきますと

----------------------

心が晴れたら
晴れるがまま

心の雨が降ったら
雨が降るがまま


心地よければ
心地よいがまま

今日、鬱ならば
鬱のまま


あるがまま
日日是好日

鬱鬱是好日

---------------------

気分に対する「執着」が緩みますと
うつ病・神経症の真の根治になります。

人生のどんな荒波が来ようが
ひょうひょうと生きていく事ができます。


西洋的な心理療法と

私達アジアの伝統、
東洋的な心理療法の

心の病に対する
アプローチの違いはこんな感じですね。


・・もちろんこれを、

頭の理解だけでは
修得不可能ですので

熟練した森田療法家に
「マンツーマンで」ついてもらい

しっかりお稽古し、
身体に(潜在意識に)
染み込ませていく事です。


頭の理解も重要ですが、
身体に(潜在意識に)

染み込んでいった時
はじめて根治になります。



当カウンセリング・心理療法の詳しい説明

http://shinriryouhou.blog2.fc2.com/blog-category-3.html



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【2013/12/21 16:30】 | マインドフルネスはリラクセーションではありません
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『マインドフルネス
読者の質問&依存症について』



うつ病や神経症(不安障害)に
マインドフルネス仏式瞑想という
対処法があります。


ただ、これは誤解が多く、
指導している方々も

この瞑想の真意が
よく分かっていない方もみえます。


当ブログ・メルマガの読者から、
カウンセリング・セッションお申し込みの際
こんな質問をよくいただきます。

一つ一つ答えていますと、大変ですので
よくある質問につき、解答を書いておきます。

それはこんな感じの質問です。


=====================
Q、(当方、独学でマインドフルネスを
やっているのですが)

スポーツの試合で勝った時のように、
受験で合格した時のように、

日々、最高の気持ちよさを求め
マインドフルネス瞑想をしていますが
これでよいでしょうか?

毎日マインドフルネスを行っているのですが、
うつ病・神経症が辛くて仕方がありません。
=====================


A、はい。この瞑想が何をしているのか、
よく理解していないパターンかと思います。

その方法で数ヵ月やっていて、
うつ病・神経症の辛さに対し
何の進歩もないから、

当カウンセリングに
いらっしゃったというケースですね。


おそらく米国式のやり方で
やってしまっているのではないかと思います。

*(最近このように、アメリカ式マインドフルネスを経由されて、
それが意味が無い事を悟り、
当心理相談所にたどり着くケースが非常に多い)


まず、マインドフルネスは
「リラクゼ(セ)ーション」ではありません。


*リラク「セ」ーションという言葉は、
日本にこの言葉が普及し始めた時、
なまってリラク「ゼ」ーションになって
広まってしまいました。
精神医学・心理臨床などの専門書では
リラク「セ」ーションといいます。


また、恍惚感や、何かオカルト的な
超越的なものを求めるものでもありませんし、
気分の高揚感を求めるものでもありません。

そういったものに対する
「執着」を緩めるためのものです。


もちろん、イヤな感情、
ネガティブなものに対する執着も
手放します。


==================
「え!?イヤなものネガティブなものを
手放すのは分かります。

・・でも恍惚感や気分の高揚感も
手放すのは理解出来ません!」
==================


はい。まず、この瞑想の根本
学習していきましょう。


この瞑想のそもそもの始まりは、
仏教の開祖「お釈迦様」によって
作られたものです。
(アメリカ人が脚色してしまいましたが)

仏陀の思想が
この瞑想の、そもそものルーツです。


お釈迦様の仏教心理学では、
私達の心の苦しみ(心の病)

これらの根底にあるのは
渇愛(タンハー)」だと喝破されました。


気分の高揚感がほしい、
愛がほしい、認めてもらいたい(過度な承認欲求)、
あれがほしい、これがほしい・・

ほしいほしい・・
渇愛が暴走すればするほど、

得られなかった時の「嫌悪感」が
『倍返し』でやってきます。
(これを求不得苦(ぐふとくく)と言います)


もし、たとえ得られても、得られても・・
そのうち得られない事が
必ずやってきます。

また得られたものも、
時間と共に変化し、

やがて崩壊・消滅していきます。
(諸行無常)



また心の病の方が抱きがちな
ネガティブ感情の一つである
「怒り」とは

嫌悪感の裏返し。

さらに、その嫌悪感の
根底にあるのは「渇愛」です。

(つまり怒りにはプロセスがあります)


逆流します。


渇愛が緩まれば

嫌悪感が緩まり

嫌悪感が緩まれば
「怒り」は緩まります。


この瞑想の
そもそものところは
「中道」を目指すものです。

恍惚感がほしい!気分の高揚感がほしい!
ほしいほしい!という「渇愛」を手放し、

イヤな感情や「嫌悪」も手放し

「両極端を離れた中道」を目指します。



これを脳で説明していきます。



先日、某テレビ番組で
薬物依存症の特集がやっておりました。

その中で、ダルクの方が
*(ダルク=薬物依存症のリハビリセンター)

ドーパミンのレベルについて
論じていました。

*ドーパミン=快感ホルモン。これは良し悪しで
適正な範囲ですと、充実感・多幸感、意欲やヤル気が出ます。
しかし何でもモノは加減。
過剰になると「依存症」という病気になります。


=======================

「ドーパミンレベル」

・普段普通に生活していて、
私達の脳内ドーパミンレベルは「100」とします。

・おいしいものを食べた時「150~180」

・性的交渉時「200~220」

・タバコ(ニコチン)を吸っている時「220~240」

・さらに「覚せい剤」は「1000超」

(法的な水準は240以下)

・・・だそうです。

=======================


たとえば、ヘビースモーカー
(ニコチン依存症)の方で

最初は数本のつもりが、
クセになってきて
一日、何十本・何箱も吸わないと
落ち着かなくなったり、


あるいは、最初は遊びのつもりで
危険なドラッグに手を出し、

そのうち止められなくなって、
「中毒(病気)」になったり、


これらは、日々上記の
ドーパミンレベルに浸る生活をしていると、

そのうち、そのドーパミンレベルに慣れてきて
(厳密に言うとドーパミンの放出が少なくなってくる)
心地よさが薄れていく・・・

そしてさらに、過剰な快楽を求め、
行為がエスカレートしていきます。


さらにマズい事に、
そのドーパミンレベルに慣れてしまうと、

普通の通常基本レベル「100」では
生活できなくなってきます。

これらが依存症のメカニズムです。


これは別に、
ドラッグや酒・タバコだけでなく、

食べ物に対する渇愛も
クセになってしまうと、
どんどんエスカレートしていきます。

心の病の方で、
お菓子や、食べ物のドカ食いが
止まらなくなるのもこういったシステムです。

*(過食症は他にも、心理学的なメ
カニズムが働いていますが。
これは今回のテーマと違いますので、
またの機会に論じます)


あとよく、巷で言う
「宝くじ長者はかえって身を滅ぼす」
というのもこれに当たります。

いきなり数億円が入り、毎日贅沢な生活
(ドーパミンレベルが高い生活)をしていますと、

お金が底を尽きた時・・・
通常の生活(通常のドーパミンレベル)が出来なくなる。

そしてドーパミンを求め、借金に手を出し、
身を滅ぼす方もいると言われていますね。



お釈迦様が

「渇愛を滅ぼしなさい。
渇愛の炎を吹き消しなさい」


と言われたのは、
こういった事かと思います。


また渇愛・嫌悪を離れた
「中道」とは、

ドーパミンレベル「100」前後の
通常の状態で
満たされている状態かと思います。

(禅の言葉では「少欲知足」といいます)


ゆえに酒・タバコやドラッグなど
おかしな誘惑から守られます。



本日のお話を
整理していきますと、


冒頭の「恍惚感・気持ちよさ」を
過剰に求める瞑想は

根詰めてやればやるほど
「渇愛脳」を作ってしまい、

かえって結果、
嫌悪感・不安感・焦燥感が
暴走するようになり、
心の病を悪化させます。


こういった瞑想を専門用語で
「サマタ瞑想」といいます。

一般的に皆さんが
瞑想と聞いて連想するのは

こういった、心地よい系の瞑想
ではないでしょうか?


(ただしここでは論じませんが、
サマタ瞑想にも種類があります。

それにより、危険なサマタか、
安全なサマタかが分かれます)


もちろん「サマタ瞑想」を
完全否定するわけではありません。

「健常者が気分転換で・・娯楽で」
ちょっと行うぐらいでしたら、
よいかと思います。


しかし、うつ病・神経症など
心の病の方は、脳のシステム上の問題があり、
ちょっと話は違います。


こういった
「イメージ系サマタ瞑想
(いわゆる危ないサマタ瞑想)」を
すればするほど、おかしくなる方がいます。

かなり危なくなると、イメージ(妄想)と
現実の区別がつかなくなって、
頭がおかしくなる方もいます。

*ちなみに、かつて
社会問題を起こした某宗教団体が
行っていた瞑想は、こういった
イメージ系サマタ瞑想です。


それに対し、
マインドフルネス(観の瞑想)は

なぜ安全か?
なぜ仕事の能率が上がるのか?
「また、なぜ心の病が治っていくのか?」は



現実を妄想(イメージなど)と
「ごちゃ混ぜにせず」、

しっかり区別し、
事実を事実のまま

誤認せず「あるがまま」
脳内に入力できますから

余計な情報(雑念)に
とらわれなくなります。

(必然的に脳の
情報処理力が上がります)


目の前の現実を、事実を
妄想(イメージ)でごまかさず、目をそらさず
あるがまま、穏やかに観る瞑想です。


仏教心理学では

私達の苦の根本原因
「無明・無知」と言います。

*実を言いますと先ほどの「渇愛」は
この「無明・無知」から生ずる
副次的なものなんです。

------------------------------------
え!?なにが
無知で無明なんですか?
------------------------------------

それは、現実と妄想
(おかしなイメージなど)が
ごちゃ混ぜになって

事実を「あるがまま」
観れなくなった状態です。


ではこの森田療法や禅。
マインドフルネスで言う
「あるがまま」とは何?

それは「諸行無常・苦・無我」を
頭の理屈ではなく、
瞑想で身体で理解し、
物事を認知している状態です。

それが「あるがまま」です。


*これは書きますと、長くなりますので
またいつかの機会に書きます・・・が、

当ブログ900ページ超は
ほとんどこの「無常・苦・無我」について
論じているものです。


ただ、当ブログでも
たびたび論じておりますが、

私達在俗の人間は
聖者じゃあるまいし・・

完璧な無我・悟りは不可能です。


そうではなく、

==================
そのまま、
世俗のままでよいですので、

「各自、心の病にならないレベルまで」
「各自、生き辛さが解消するレベルまで」

無我に近づけばOK
==================

当ブログではこれを

「プチ無我」(造語)と
定義しております。


無我という堅苦しい言葉も
「プチ」がつくと、
敷居が低くなると思います。



私のところで教えている学問は
特殊な学問体系ですが、

心にトラブルを抱える方々が

「心の病になることなく」
「自ら命を絶つことなく」

一生平穏に生きていける
実践的学問ですよ。



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【2016/01/22 01:06】 | マインドフルネスはリラクセーションではありません
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私もそうです
オリーブ
いつもブログを拝読させていただいています。
私も昨年4月から独学でマインドフルネス瞑想を始めまして、毎朝行う事が習慣になっています。始めるきっかけは抑うつ感を少しでも和らげたいとの思いからでしたので、数回瞑想が上手くいった!?時の恍惚感が忘れられず、無意識にそれを求めてしまっている自分がいます。と同時に、雑念ばかりで集中できない時には嫌悪感すら感じてしまいます。これが渇愛というものなのですね。今はそういう自分を認識しつつそれにとらわれ過ぎないよう心がけて、とにかく毎日座るようにしています。
瞑想に依存していると言われればそうなのかもしれませんが、一つ言える事は瞑想は今の自分には無くてはならないものであるのは確かです。

Re: オリーブさんへ
ショウセイ
オリーブさん。はじめまして。

> いつもブログを拝読させていただいています。

ありがとうございます。


> 私も昨年4月から独学でマインドフルネス瞑想を始めまして、毎朝行う事が習慣になっています。始めるきっかけは抑うつ感を少しでも和らげたいとの思いからでしたので、数回瞑想が上手くいった!?時の恍惚感が忘れられず、無意識にそれを求めてしまっている自分がいます。と同時に、雑念ばかりで集中できない時には嫌悪感すら感じてしまいます。これが渇愛というものなのですね。今はそういう自分を認識しつつそれにとらわれ過ぎないよう心がけて、とにかく毎日座るようにしています。


はい。でも今回、
そういった状態に客観的に気付けたので大丈夫です。

今回のお話の中でも書きましたが、アメリカ式マインドフルネスは、
わざわざ「渇愛系の煩悩を爆発」させているものが目立ちます。

あの方法論の危うさと、理論の脆弱さに、
当心理相談所は、11年くらい前から警鐘を鳴らしております。

また昨今のブームにより、マインドフルネス本が
たくさん出回っておりますが、本に書いてある
そもそもの方法論がおかしいですし、やはり独学では
正確なものが身につかないと思います。

↓(参考テキスト:独学で行い、失敗する典型例)
http://shinriryouhou.blog2.fc2.com/blog-entry-1211.html

上記リンクのように、仕事も芸事も瞑想も同じですが、
まず技術を身につける時は、熟練の指導者(心理療法家・瞑想家)に
ついてもらう事を推奨します。


> 瞑想に依存していると言われればそうなのかもしれませんが、
>一つ言える事は瞑想は今の自分には無くてはならないものであるのは確かです。


OKです。それは良い事かと思います。
お釈迦様が亡くなられる時、こんな言葉を残されました。

「自灯明 法灯明」
自分自身と法(仏教瞑想法)を拠り所として生きていく事。

オリーブさんの生き方は、
涅槃(心の平安:心の病回復)への近道ですよ。

仏教瞑想生活している人は、皆等しく、お釈迦様の遠いお弟子さんです。
今後も精進を続けてまいりましょうね(合掌)


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