マインドフルネス・森田療法を使った、「元うつ病患者カウンセラーによる」新しいタイプのカウンセリング(コーチング)
~~~~~~~~~~~~~~~
自我を愛すると、うつ病になる
~プチ無我のススメ~
~~~~~~~~~~~~~~~


西洋の心理学・思想・哲学・

また、よくありがちな
西洋式自己啓発法は

「自我」を、
とても大切にします。


しかし何でも
「モノは加減」で、

自我(我:が)を
大切にしすぎますと

行きつく先は、


・おかしなプライドばっかり
高くなったり

・自分(自己愛)中心の世界観が
固まってしまい、
やたら気が利かなくなったり。

(当然、職場などで嫌われます)


・どんどん「わがまま」になり、
自分が一番偉いと錯覚する。



自我(我)を
大切にすればするほど

不満が多くなり、
わがままになり、


自分の思い通りにならないと
イライラし、
いらぬストレスが溜まり・・

人生が不自由になり、


そんな日常が
「慢性的ストレス脳」を作り、

その状態を放置していますと、

行きつく先は
「脳の病気」

うつ病・神経症
(不安障害)になります。



昨今、欧米でも

そういったよくありがちな
西洋式の心理学や思想に限界を感じ、

東洋式の心理学・思想・哲学が
一大ムーブメントになりつつあります。

(欧米の禅ブームもその一つですね)


その代表的なものは、

第三世代の
新しい認知行動療法である

仏教哲学から生まれた心理療法
「マインドフルネス」


そして、日本に古くからある

メイドインジャパンの心理療法
「森田療法」が
注目されてきております。


これら東洋的な心理療法、
哲学、思想は

西洋式自己啓発とは真逆で
「自我(我)」を緩めていきます。


うつ病・神経症の人など、
「自我でカチンコチン」になった

融通の利かない心を
柔らかくしていきます。


自我に対する執着を緩め
「あるがまま」

人間も地球を構成する細胞の一部。
大自然に身をゆだねます。
一即多 多即一

すると、どんどん人格が
明るく朗らかに
自由になってきます。


「なんでもかんでも、
自我の思い通りにはならない・・」という

「無我」を行動療法を使って
理解していきますと、


頑固な心がほぐれてきて、
自然体になり、

周りをいくぶん
許せるようになっていきます。


そのような心が育ってきますと、
いらぬストレスが「激減」します。

結果・・かえって仕事がはかどり
能率が上がりますし、
人間関係がうまくいきます。


そうしますと人生の歯車が
新しい良い方向に
回転しはじめます。


「なんでもかんでも、
自我の思い通りになる!」

また「自我の確立!」という


西洋式のやり方で、
治らなかった方は

やり方を変えてみます。


「自我中心の思想」は、
脳が一日中「闘争&逃走状態」

一日中「交感神経」が
優位になってしまい、
脳にストレスホルモンが回り始め


脳が一日中
ダメージにさらされ

個人個人の耐えられる
レッドゾーンを超えますと・・

結果「脳の病気→うつ病」になります。


思想・哲学を
チェンジするだけで

心や脳が
正常に戻っていきます。

抜群に生きるのが
楽になっていきます。


====================
「自我を確立し、自我を愛し、
自我中心で頑張ってきて・・・

うつ病・神経症になり
人生疲れてしまったら、

今度は自我(我)のいらないところを、
少しずつ捨てていく・・」

====================


もちろん私達は
山に籠る聖者や仙人ではありませんので、
完璧な無我は不可能です。

ゆえに各自、
「社会生活に支障がないレベルまで」


自我(我)を
緩めていけばよいと思います。

プチ無我のススメ



うつ病・神経症(不安障害)など
心の病というものは

今までのあなたの生き方では、
今後の人生もたないよ・・

という潜在意識からの
「ありがたいメッセージ」


ですので、生き方を
変える時ではないかと思います。


思想や哲学は時に、
抗うつ薬より効くこともあります。




当カウンセリング・心理療法の詳しい概要。

http://shinriryouhou.blog2.fc2.com/blog-category-3.html




【2012/08/16 10:06】 | 自我(我)ってなあに?
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Re: minatoさんへ
ショウセイ
> はじめまして。
> 拝読させてもらいました。
> 本文中の
> 今までのあなたの生き方では、今後の人生もたないよ・・
> という潜在意識からの「ありがたいメッセージ」
> ですので
> 生き方を変える時ではないでしょうか?
> という部分に惹かれました。
> ブログをリンクにはらせていただいてよろしいでしょうか

ご丁寧なコメントありがとうございます。

minato様からいただいたコメントに、
メールアドレスが出てしまいますので、
オンライン上、個人情報保護、トラブル防止のため、
コメント削除させていただきます。
ご了承くださいませ。

リンクは商用サイトや宗教サイトでなければ、リンクフリーです。
(文字ばかりのサイトですみません)

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西洋式の自己啓発法、
心理学・哲学でよくありがちな、

・自我の確立
・自我同一性(アイデンティティー)
・我思うゆえに我あり


仏教心理学の視点では
この自我に対する「執着」
強ければ強いほど

「それに比例して」苦しみは
膨れ上がっていきます。



「え!?いきなり何を言うんですか!
私達は子供の頃から学校で

そういった教育で育ってきたんです。
それの何がいけないんですか!?」


もちろん自分を確立し
大切にするのは
良い事かと思います。

・・・ですが、
なんでもモノは加減で


自我自我自我・・・
わたし、わたし、わたし・・・

それに対する「執着」が強いと、
ここに行きつきます。


=============
私は愛される存在である
私の思うがままの人生
私は大切な存在・・・
=============

意識、無意識


潜在意識にこの概念が
強ければ強いほど



人から愛されなかった時、

大病など人生の
突然なトラブルで、

思うがままに
人生が進まなくなったとき、

会社などで左遷され、
大切にされない時・・・

(これらは俗世では
よくあることです)


~~~~~~~~~~~~
苦しみは
倍返しでやってきます。

~~~~~~~~~~~~


それは耐えがたい苦しみになり

そんな状態が長く続きますと、
慢性的ストレス脳になり

やがて脳の病気になり

うつ病・神経症(不安障害)を
発症する人もいます。



「え!?仏教心理学は
何て悲観的なんですか?

では出世して
成功すればいいじゃないですか!?」


======================
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者もつひにはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。
(平家物語より)
======================


どうぞ成功して
この世を謳歌してください。
それはとても良い事です。

・・・ですが、盛隆を極めても
必ず物事には衰退が訪れます。

「自我」の思うようにはならない
現実がやってきます。




さて、話を戻しますと

森田療法では
こういった苦しみを
「我執の病理」といいます。

当然こういったタイプの苦しみに
化学薬品(抗うつ薬など)は

気休めにはなりますが・・・
治す事はできません。


かといって私達は
山に籠る仙人や
聖者ではないのですから、

完全に我(が)を捨てた、
「無我」にはなれません。

私達俗人は
社会生活があります。


自我はこうとらえてみましょう。

こんなお話しをいたします。


たとえば、
太古の昔、人類は
「貨幣」が無かったので

物々交換をして
交流していました。


そこでもっと平等に
円滑に交流するために

「貨幣」というツールを作りました。
(紀元前7世紀ごろ:諸説あり)


それによって物々交換をしなくても
円滑に平等に
交流が出来るようになりました。


ですが貨幣はあくまで
「ツール」「手段」「媒介物」であって

本質は
「物と物(価値と価値)との交換」です。


21世紀現代では、
この「物・価値・貨幣の概念」は
かなり複雑になっていきますが、

経済のお話は
ここでは割愛します。



この例えは

私達の「自我」と呼んでいるものは、
「貨幣」「電子マネー」
あるいは「アバター」のようなもの。

元々無いものを
勝手に脳内で
バーチャルに作り上げ、

実社会を便利に生きていくための
「あくまでツール」です。


もう少し分かりやすく
お話ししますと、


私達の身体は
約60兆個の細胞が
集まって出来ています。

さらに細かく、ミクロにしますと
「わたし」とは、
「素粒子のあぶくの集合体」です。


現れては消える、粒子であり、さざ波。
それが素粒子です。
それが「わたし」の本質。

そして紛れもない
「科学的事実」です。


ただ、実社会で
「おい。そっちのあぶくさん」
「こっちのあぶくさん」・・・
ですと、社会生活が出来ないので

先ほどの「貨幣」の話では
ありませんが、

「自我(〇〇さん)」という
便利なツールを使っているだけです。


ですが、
俗世で生活していますと、

その「貨幣(自我)」が
本質・本体であるかのように
錯覚してしまいます。


さらにその貨幣(自我)に
異常に執着してしまい、

===============
私は愛される存在である
私の思うがままの人生
私は大切な存在

「私を愛して!」「もっと私を!」
「何でやねん!なんで私だけが!」
「私は素晴らしい人生を歩むはず」
===============

「わたし、わたし、わたし・・・」
「もっと、もっと、もっと・・・!」と、

自我が暴走するわけです。


そして思い通りにならない
人生に絶望し

うつ病や神経症を
発症する人もいます。


もっとひどいケースですと、

学校に怒鳴り込んでくる
モンスターペアレンツや

店舗などでみっともない
マネをするクレーマーなど。


あれらは
完全に精神の病気かと思います。

「自分(自我)大好き人間の
行きつく なれの果て」


診断上は「健常者」ですが、
本当の意味での「病人」かと思います。



西洋式のよくありがちな
哲学・心理学・思想・教育は
この「自我を強化」していきますが、


対して森田療法や
マインドフルネス仏式瞑想など

私達アジア、東洋の
哲学・心理学・思想は

西洋と真逆の視点で

「惺惺著」
(せいせいじゃく:禅の言葉)

「自我(貨幣)の錯覚から
目を覚ますもの」



自我に対する執着が
緩めば緩むほど

まるで人生の手かせ足かせが
外れたように
自由に生きられるようになります。

「わたし」という
着ぐるみを脱ぎ捨てたら
人生が軽くなります。



ただ、何度も言いますが
私達は聖者ではありませんから、
完璧に無我には至れません。

*また誤解の無いように。
お金が無いと、
この俗世では生きていけません。

ビジネスマンはしっかりお仕事をして
お金を稼いでください。
(ですが貨幣は本質ではなくツールです)



本日のお話のように

自我は社会で
便利に生きていくための

「あくまでツール」だという事を
自覚して生きていきますと

「我執の病理」は治っていきます。


自我は元々無いものを
脳内で勝手に作り上げた概念です。

今回のお話の「貨幣」と同じ。
自我は便利なツールであり、
手段であります。

ですが『本質』ではありません。


実際、自我は「今までの記憶の集積」が
脳内情報(ニューロンの連結パターンと電気信号)として
大脳皮質に保存されいる「電気情報」です。


私達が自我と大切にしているものは、
まさに電子マネー、
もしくはアバターのようなもの。

それほど執着するに
値しないものかと思います。

(もちろん電子マネー・ツールとしての
利用価値はありますが)


自我・・それから派出する
「おかしなプライド」などに執着して

怒り、落ち込み、自殺する必要も
無くなります。


例えば、具体的に言いますと
おじさん世代が諸事情により転職し、

転職先で、
年下に注意された事により怒り、

落ち込み、うつ・神経症に
なる必要もありません。


自我は脳が作った幻、電気情報、
電子マネーのようなものですので、

そんなものに命をかけて
執着することの
バカバカしさを悟り

偏屈な歪んだプライドも緩くなり・・
素直に学ぶ態度が
自然に出来るようになってきます。

私(自我)から解放され
真の自由な人生が始まります。


かえってそういった姿勢が
他の方々の心を動かし

あなたに感化される人も
出てくるでしょう。


どこの転職先でも衝突して
煙たがられていた人が

瞑想のお稽古により、

どこの職場に行っても
上手くいくようになっていきます。


瞑想生活していきますと、
「自我」に対する とらえ方が変わり、

この世を、ひょうひょうと生きていく事が
出来るようになっていきます。



出家僧には、もう少し
違った角度からのお話になりますが、

在俗の人達は、
社会生活がありますので

自我はこんな感じで
とらえてみるとよいかと思います。
(特に神経症の方は)


うつ病や神経症(不安障害)
ストレスに苦しむ人達は、

「自我(わたし)」のとらえ方を
少し変えてみますと、
楽になっていくと思います。



森田療法の素晴らしいところは
大正~昭和初期に、

すでに、ここの問題
(我執の病理)に着眼して
対応していました。


昨今の心理学の世界では
西洋式のコテコテの
「自我自我自我・・」で

限界を感じている人達が
この森田療法を
再評価
する動きがあります。


また、この西洋には無い
斬新な視点の森田療法は

今アメリカや台湾などで
静かなブームだそうです。


マインドフルネスや禅が
数年前からアメリカで
爆発的に流行り出したのも

こういった背景があります。



~「まとめ」~


自我は社会生活を
便利に生きていくための

「あくまでツール」であり、
「本質」ではありません。


ですが、その
自我が本体だと錯覚し

執着し、とらわれる事を
「我執の病理」といいます。


「そこから」
生き辛さが始まり

それにより、毎日コルチゾールなどの
ストレスホルモンにさらされ続け、
慢性的ストレス脳になっていき・・

やがてその負荷に
耐えられなくなりますと
脳の病気になり、

うつ病や神経症に
発展します。


惺惺著!(せいせいじゃく)
(自我の錯覚から目を覚ます)


自我は私達の
本質ではないと気付きます。


ではその「本質」は・・・?


それは言葉や文字を超越した
「不立文字」の世界。

ご自身で、日々の仏式瞑想の
お稽古、実践により・・・・・


・・・・・・・・ハッ!?と

気付きます。


円相.1
(仏教画)


頭の理屈ではなく、身体で
潜在意識レベルで分かる事。


そこから本当の回復が
始まります。

一時的な「寛解」ではなく、
真の「根治(完治)」にたどり着きます。



もう一度言います。

うつ病・神経症は
「寛解」ではなく

「”根治”」します。


惺惺著
~新しい生き方を始めよう~

今、この瞬間
人は生まれ変われます。




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【2012/08/17 02:13】 | 自我(我)ってなあに?
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なるほど
オリーブ
いつもこのブログを拝見しています。
自我はこの世を生きるための便利なツールという考え方は、とても分かりやすい例えで、なるほどと思いました。まだまだ実感するには至っていませんが。
遅い時間での更新、お疲れ様です。お体の方ご自愛ください。

Re: オリーブさんへ
ショウセイ
オリーブさん。お久しぶりです。


> 自我はこの世を生きるための便利なツールという考え方は、
とても分かりやすい例えで、なるほどと思いました。
>まだまだ実感するには至っていませんが。


そうですね。在俗には在俗の仏教の学び方があります。
出家が説く仏教は、在家(一般人)には使いづらい所がありますので、
こんなお話にまとめあげました。

今回のお話は、特に神経症の方々は自我にとらわれ
人生身動きが取れなくなり、様々な心理症状を出し苦しみます。

そういった生き辛さから解脱するために、
今回のお話が参考になれば幸いに思います。

ですが、究極的には毎日の瞑想のお稽古で、
身体に潜在意識レベルに浸透しなければ、いざという時に使えません。
精進してまいりましょう。


> 遅い時間での更新、お疲れ様です。お体の方ご自愛ください。

お気遣いありがとうございます。
オリーブさんがお幸せでありますように。



ゆた
初めてブログを拝見させて頂きました。
現在、心気症で苦しんでおりますが、ブログを読みなんだか、心が軽くなるような気持ちになっております。私は自分に執着しすぎなのかもしれません。まだまだ時間はかかりそうですが考え方、生き方を変えていくように頑張ります。

Re: ゆたさんへ
ショウセイ
ゆたさん。コメントありがとうございます。


> 初めてブログを拝見させて頂きました。

はい。いらっしゃいませ。


> 現在、心気症で苦しんでおりますが、ブログを読みなんだか、
心が軽くなるような気持ちになっております。
私は自分に執着しすぎなのかもしれません。
まだまだ時間はかかりそうですが考え方、
>生き方を変えていくように頑張ります。


ブログを読み、そこまで理解出来るのは素晴らしいです。

後は具体的な心理技法のお稽古により、
身体に潜在意識レベルに浸透させていきます。

「自我のとらえ方」が変わってきますと、
「自我のとらわれ」が緩んでいき、

それに連動して、自分は〇〇病なのでは!?という
心気症独特のとらわれも緩んでいきます。

詳しいお話は、またいつかブログにて論じてまいります。
それではまたいらしてくださいね。


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ラカンの「鏡像段階論」と
仏教心理学
~自我の形成と、自我の苦しみ~



日本では、
ややマニアックな心理学者ですが、
フランスの心理学者で

ジャック・ラカン
(1901-1981)という方がいます。


この方はフロイトを師匠と仰ぎ、
我こそがフロイト先生の後継者だと
主張していた方です。

その方の中核となす理論で
「鏡像段階論」というものがあります。


この方の理論は
非常に難解なのですが、

簡単に分かりやすく言いますと、


赤ちゃんが生まれ、
自我が形成されていく過程。

赤ちゃんは最初は
自分が誰だかも分かりません。


例えば、鏡に自分が映った。
(赤ちゃん)「ワッ!これ誰やねん!」

ですが何度も何度も鏡を見ていると、

(赤ちゃん)「・・・んん!?どうやら
この鏡に映っている人はワシじゃ!」

と、気付いていき、
自我が形成されていきます。


さらにお父さん・お母さんなどの
他者と接している内に

自我がどんどん形成されていきます。

自分というイメージが
ガッチリと形成されていきます。

*他者との関係を
「鏡」と例えたという説もあります。

(ラカンの理論は、ここからさらに
複雑な理論に展開していくのですが)


・・・と、まあ、

こんな感じが西洋的な心理学・哲学の
自我を中心とした世界観ですね。


ですが人生の中~後半に
人生の疑問に突き当たります。


さて、その子が
大人になっていき、

人生の中盤~後半に
差し掛かったあたりで、


自我自我、わたしわたし!
この「わたし」という

===============
自己イメージにしがみつけば
しがみつくほど
生き辛くなるのはなぜ?

人生が不自由になるのはなぜ?
===============


愛されるべき私。
尊大な私。かわいそうな私。
夢や望みが叶うはずの私。
ありのままの「私」

わたしわたしわたしわたし・・・・
という自己イメージ。


その「わたし(自我)」にしがみつけば
しがみつくほど、

自我の思い通りにならない
この世の無常に苦しみます。


さらにプライドばっかり高くなって
思考の融通が利かなくなり、
新しい事を素直に学べなくなる。


どんどん人生が不自由になります。


その「わたし」にしがみつく
度合いが強ければ強いほど、

人生で不意なトラブル、
大病を患ったり、愛する人に裏切られたり、
近しい人が亡くなったり、上司に叱られたり、
大切なものを失ったり、リストラ・左遷されたとき、

苦しみは倍返しでやってきます。


その「わたし」にしがみつく
度合いの強さと
苦しみの強さは比例します。


ひどい人は、うつ病や神経症など
精神疾患になります。



その「わたし」にしがみつく
度合いが強ければ強いほど、

生・老・病・死の根本苦。
愛別離苦(愛するものと別れる苦)
怨憎会苦(イヤな人に遭遇する苦)
求不得苦(求めても得られない苦)
五蘊盛苦(本能的欲望が燃え盛る苦)

これらの苦に「”必要以上に”」苦しみます。


仏教学ではこれを
「四苦八苦」といいます。

*日本人なら誰しも
四苦八苦という言葉は使っていますね。
語源は仏教思想です。


西洋の思想や哲学、心理療法は
この「自我(わたし:自己イメージ)」
強化したりします。


ですが東洋のマインドフルネス仏式瞑想や
森田療法は、この

「自己イメージは
事故イメージになります」

この自我に対する執着(我執)こそが
人生の事故につながります。


自我こそが、
苦しみの根源と喝破します。

そして仏教瞑想や
森田療法などにより、
その我執を手放していきます。


もちろん私達は
聖者ではありませんので
完璧な無我には至れません。

ですが「各個人、病気にならない程度まで」
自我を手放し、緩めていくだけで


どんどん心が楽になり、
人生は自由に
朗らかになっていきます。

長年のうつ病・神経症も治っていきます。

自我という「人生の重荷・着ぐるみ」を
脱ぎ捨てますと人生は楽になる。


人生を不自由にしている
歪んだ偏屈なプライドも小さくなり、

ジョークも分かる
頭の柔らかい人になっていきます。



青々とした青年期。
人生の前半は

自我を強化し、
形成していくのもよいでしょう。


ですが、人生の半ばで

うつ病・神経症、
あるいは、どうしようもできない
生き辛さ
に苦しんだら

今度は「自我の要らないところを
一つずつ捨てていきます」


自我・自己イメージを強化し・・・

人生の半ばで、その虚しさを悟ったら

今度は自我を捨てていく
作業に切り替えます。


この世の無常に疲れたら
涅槃に向けた生き方に
チェンジしていきます。


西洋的なカウンセリング法、
NLPなど西洋的な
自我主義の心理療法・・・

うつ病・神経症の人達が、
これら心理療法をやってみて
もしも「虚しさ」を感じましたら

東洋的な心理療法にチェンジしてみるのも
よいかもしれませんね。


西洋の心理療法
東洋の心理療法
それぞれ素晴らしいと思います。

ですが、西洋と東洋では
うつ病に対するアプローチ法が
全く違います。



人生に対するとらえ方、
「わたし」に対するとらえ方が
変わっていきますと、

原因不明の精神的不調
見事に根治していきます。




ええ!?でも今回のお話・・・


では目の前にいる
あなた(自我)は誰なんですか?

「不識!」
(識(し)らぬわ!)

*禅のことば:
達磨不識(だるまふしき)より



最初のお話に戻しますと、

鏡に映る自分は自分と認識し、
「自我が確立」されていく、


後の人生で、人生が行き詰まり、
すがる想いで、
禅やマインドフルネス仏式瞑想を修練し、

その鏡に映る自分(自我)は
ただ移り行く「現象」であると悟る。

「確固たる固定された自我は無い。
自我は移り行く幻だった」



~照見五蘊皆空 度一切苦厄~
(般若心経より)

<仏式瞑想により、わたし(五蘊)は、空(くう)と観じ、
うつ病など、一切の人生の苦厄から解放された>


「自我→無我」

この道程で、
抗うつ薬を飲んでも根治しなかった

心の病(人生の病)から
完全解放されていきます。



==============
人生に対するとらえ方、
「わたし」に対するとらえ方が
変わっていきますと、

流れる雲
流れる水のように

人生は驚くほど楽になり、
人生は驚くほど自由になります
==============






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【2012/08/18 07:17】 | 自我(我)ってなあに?
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うつ病・神経症(不安障害)と森田療法
「過去は不問とす」

~モノのとらえ方の「レパートリー」を
一つ増やします~


ストレスを抱えがちな方、
心の病の方々の相談を
観察していますと、

大きく分けて、この「二つ」に
カテゴリー分けが出来るかと思います。


それは
----------------------------------------
A、「かわいそうな(不幸な)私」
B、「悪いあの人(環境など)」
-----------------------------------------

ほとんどが
この「どちらか」です。


一般的な、病院等で行っている
ロジャーズ系(傾聴)カウンセリングは、

これらに対し、慰めたり、
共感したりする手法をとります。


もちろん、それはそれで
よいと思います。
否定はしません・・・が、

当ブログは6年間
(オフラインの期間を入れ12年)
このタイプのカウンセリングの盲点を
論じております。


それは、慰められたり、
共感されたりしますと、
一時的には楽になり、

「あぁ癒された・・・」
「カウンセラーさんに聴いてもらってよかった・・」
となるでしょう。


・・・ですが、

~~~~~~~~~~~~~~~~
これは残念ながら
「何の解決にもなっていません」

~~~~~~~~~~~~~~~~

実際、そのまま家に帰り、
数時間は癒されているでしょう。


しかし、次の日、会社に行きますと、
もう元の木阿弥(もとのもくあみ)

「またイヤな自分に戻っている」


「また同じようなシチュエーションで、
同じようなストレス反応をしてしまう自分がいる・・」

そしてストレスがいっぱいになった時、
またカウンセラーさんのところへ行き、
愚痴を聴いてもらいます。

一時的には楽になるが、
また数日したら、ストレスで
いっぱいいっぱいになる。

またカウンセラーのところへ・・・


・・・一体これを
いつまで続けるのでしょうか?


これを「カウンセラー依存症(対人依存症)」
といいます。

依存症は病気です。


私も昔、うつ病・神経症(強迫性障害)患者時代、
病院などで、こういったタイプのカウンセリングを
イヤというほど受けてきましたが

このタイプのカウンセリングは、
クライエントさんを依存症にして
終わってしまうカウンセリングになりがちです。


あるいは・・何の「具体的解決策」も
提示されないので
(こういったカウンセリングを
非指示型カウンセリングといいます)

カウンセリングが終わると、

「では、私は不快な心理パターンが出た時、
一体どうしたらいいのか??
具体策を提示していただかないと困る」

「そのために料金を払って
心理のプロに相談したのに・・」

クライエントさんは
『生殺し』のような状態になって
余計迷ってしまうかと思います。



さて、そういった受動的(パッシブ)な
カウンセリングに対して、

森田療法のカウンセリングは
心理学の世界では

「アクティブ(能動的)カウンセリング」と
言われています。


それは、過去のいきつや、

A、「かわいそうな私」
B、「悪いあの人(環境など)」

などに、あまり価値を置きません。

(もちろん必要とあらば、
軽くロジャーズ系(傾聴)カウンセリングも使いますが、
そこはあまり重要ではない)


それよりも
「3番目のカード」を提示します。
-----------------------------------------
それは
C、「では、これからどうするか?」
-----------------------------------------


私はあの人のせいで、うつになった!

私の生い立ちのせいで、こんなに不幸なんだ!

こんな私は可哀想でしょう!?

私は悲劇の中にいるヒロインなのに、
誰も分かってくれない!

などなど・・・

----------------------------------------
これら暴風が吹き荒れても、
柳の木に風が
すり抜けるように流れていく。。
----------------------------------------

それよりも、

「それらは分かりました。
で、これからどう生きていきますか?」


一生、社会を他人を呪い、
怨念の人生を送りますか?

一生悲劇のヒロインを演じて
他人に分かってもらうのを待つ
「歪んだ承認欲求」の人生を送りますか?

どうしようもできない過去を、
どうにかしようと無駄な努力をして
疲れ果てる人生を送りますか?

うつ病・神経症から解脱するために
あなたは今、具体的に何をしていますか?


「で、具体的に
これからどうするか?」は
自分が切るカードです。

これは他人が強要できないし、
他人が人生の肩代わりも出来ない。

「で、これからどう生きるか?」は
自分で選択するカードです。


変わりたいと思えば、
「今・現在・この瞬間」に人は変われます。

極めてシンプルである。


人生の選択のカードを
他人に丸投げしてしまうと、

A、「かわいそうな私」
B、「悪いあの人(環境など)」

の発想しかできなくなります。
一生「被害者的発想」の人生です。


C、「で、これからどう生きるか?」

という森田療法や禅的な
「聖なる選択肢」
を、

モノのとらえ方の
レパートリーに、一つ増やします。




心理学では「劣等コンプレックス」
というものがあります。

これは例えて言うならば、
こんな人がいたとしましょう。



「うつ病・神経症が辛い・・・
治したいです」

「こんなに辛い私を
周りは理解してくれない」

はい。分かりました。
では治すために
具体的に何をしているのですか?

「病院の先生が ”頑張らず
薬を飲んでいなさい” と言うから
ずっと薬を飲んでいます」

それをどれだけの期間
行っているのですか?

「8年です・・」

8年やっていて、治ったのですか?
あるいは治る兆しはありましたか?

「治りません。辛いです」

8年やって、結果治っていない事を
なぜに続けるのですか?

なぜにやり方を少し
変えてみないのですか?



この人は、表面意識では
変わりたい、治したい・・と
主張していますが、
意識、無意識

深層心理(無意識)下では
変わる事を拒絶しています」



深層心理では
以下のパターンが考えられます。


・「今の不幸な自分を演じていた方が、
周りも気遣ってくれるし、まんざらでもない」

(「不幸な自分というエゴ」を愛している)


・「長年やってきた、
不幸な(ダメダメな)自分でいた方が楽だ」

*「不幸なダメな自分」が
コンフォートゾーン(安心できるゾーン)に
なってしまっている。

そのコンフォートゾーンに
「安堵してしまっていて」
抜け出そうとしない人。


・「あるいは自分は、
特別な存在でいたい」という
歪んだ「承認欲求」


・または、赤子のように
「弱い存在」でいることにより
周りを意のままに操ろうとしている。

(弱い存在でいることにより
周りを支配しようとしている。一種の幼児退行)

などなど・・・



潜在意識から
本気で治したい方は、
やはり違います。

例えば、薬物療法を数年やって、
結果が出なかったら

薬を維持しつつ、
うつ病・神経症で辛いなりにも・・・
「次の一手」をすでに打っています。

そして、石の上にも三年。
それも「数年、真剣に努力してみて」
結果が出なかったら、次の一手を打ちます。


自分の心身は劣等感だらけで
心の病を持っていて辛い

そしてこれが
コンプレックスになっている。


この劣等感を克服しようと
具体的に努力しているのは
「健全な劣等感」です。

これは
人間を成長に導きます。



ですが、こういった劣等感があり、

A、「かわいそうな私」
B、「悪いあの人(環境など)」

を盾にして、


何の具体策も打たないのは
心理学では「劣等コンプレックス」といいます。

劣等コンプレックスにしがみつきますと、
「人は堕落」します。


心の病も半永久的に治りません。
(いや。治る事を深層心理が拒絶している)


以上が「劣等感」
「劣等コンプレックス」の違いです。

*ただし、誤解の無いように。
暴行を受けた、家財が盗まれた、
残業代が不当に支払われない・・・などのトラブルは
本当に周りが悪いです。
そういったものはちゃんと、然るべき対応をしてください。



この劣等コンプレックス
「粉々に粉砕」するのが

第三のカード

C、仏式瞑想や、森田療法的な生き方
「過去はどうでもいいです。
それよりも、今・現在・これからどうするか?
どう生きていくか?」


ただ、これだけですと、
単なる観念論になってしまいますので、

「具体的な」脳科学・心理学的テクニックも
マスターしていきます。


今後どんな人生の荒波が来ようとも
マインドフルネス・森田療法の心理技術で、
スイスイ泳いでいける。

他人のエゴに
振り回される人生は終わった。


~~~~~~~~~~~~~~~~
人生・日常で遭遇する
様々な出来事

それをどう解釈して
どうとらえるか・・・は

「自分の課題」になります。

~~~~~~~~~~~~~~~~


その瞬間
「被害者的な人生は終わる」

世界は一瞬で変わります
今・現在・この瞬間から

全ては「あなた次第」です


*それでもどうすればいいか
分からない方は
当カウンセリングにいらしてください。

その日からすぐ実践できる
「具体策」を提示しますので。



1、かわいそうな私・・というエゴ
2、悪いあの人(環境)・・というエゴ

「この二つを手放した時」

人生の手かせ足かせが外れ、
真の自由が得られます。


それは、抗うつ薬とは
違った効き方をします。

うつ病・神経症が
「劇的に」回復します。
(いや。人生が一変します)

寛解を超えた「真の克服」です。


*寛解(かんかい)=抗うつ薬など(サプリも含む)
薬品や物理的な力で、一時的にテンションが上がって
それがしばらく続き「治ったと錯覚」している状態。

(当然、薬を止めてしばらくすると
再発する危険性が高い)


うつ病・神経症は「寛解」ではなく、
『克服・根治』を推奨します。



=====================


p.s

・・・と、まぁ
今日は若干厳しい心理学の論点でしたが
よくここまで読破されました。

読者の勇気に敬礼します。

そして「心の病を治したい!」という熱意に
最敬礼します。


ただ・・少しフォローを入れますと、
私達は聖者じゃあるまいし、

-----------------------------------------------
1、かわいそうな私・・というエゴ
2、悪いあの人(環境)・・というエゴ
-----------------------------------------------

は、誰しも少しはあります。


ですが、今日の
心理学・仏教学的カラクリを知った上で、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
各自、心の病にならないレベルまで、
各自、生き辛さが解消するレベルまで

~~~~~~~~~~~~~~~~~~


1、「かわいそうな私・・というエゴ」 

(仏教心理学では
「卑下慢:ひげまん」と言います。煩悩の作用の一種)

2、「悪いあの人(環境)・・というエゴ」

が緩まればOKですよ。


それだけでも長年の心の病が
劇的に楽になります。






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【2012/08/19 00:44】 | 自我(我)ってなあに?
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Re: いくさんへ
ショウセイ
コメントありがとうございます。
主訴拝見いたしました。

コメントに個人情報(メールアドレス)が
入っておりますので、非表示とさせていただきます。

カウンセリング了解しました。
後日正式にメールいたします。
少々お待ちください。


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神経症(不安障害・不安症)

「”わたし”」から
自由になると楽になる


~プチ無我のススメ
マインドフルネス仏式瞑想~


====================

例えば
①自分の話し方を意識しすぎて
ぎこちなくなり、
しまいには、どもってしまったり(吃音)

②世の中の事は無関心ですが、
自分が傷つくことには
極端に神経質になったり、
(拒絶過敏性)

③自己(自我)愛に執着し、
自分の殻に閉じこもり
引きこもりになったり、

④面接や人前でプレゼンする時、
病的に不安になったり、

⑤自分の歩き方が気になり
おかしな歩き方になったり、

・・・などなど。

====================


これら神経症的な心理症状の
共通項を一つ挙げますと

全て「わたし」に対する
過度な執着があります。



~~~~~~~~~~~~~~~
「わたし」「わたし」「わたし」・・・

かわいい私、かわいそうな私、
尊大な私、愛されるべき私・・
~~~~~~~~~~~~~~~

脳内で作り上げた
勝手な「自我像(わたし)」

そんな虚像を守るために
必死になります。

「わたし(自我像)」が
傷つかないように・・


元々無いものを
勝手に脳内妄想し、

「幻の自我像」を作り上げ
それに執着し

それが傷つかないよう
苦しんでいるのが


「我執の病気」です。
(抑うつ神経症など)



また別の角度から
「わたし」を観てみましょう。


「わたし」とは何でしょうか?

科学的に言いますと、
脳内のニューロン
(脳神経細胞)と

その中に流れる
インパルス(電気信号)


過去のデータの集まったものが
「わたし(自我)」

その過去のデータは
大脳皮質内の
ニューロンのシナプス結合パターンと

その中に流れるインパルス&
神経伝達物質である。


科学の視点で言うならば
「わたし」とは
単なる電気信号です。

刹那的に毎瞬毎瞬、移り変わる
変化・変滅する
単なる電気信号です。


さらに他の視点から観ますと

「わたし」はミクロの視点から言うと
科学の最小単位、

「素粒子のあぶく」が瞬間瞬間
変化・変滅している現象です。


その素粒子のあぶくが
約60兆個の細胞を作り
身体を形成しています。



・・・こうやって
過剰に執着している

「わたし」を様々な角度から
客観視・俯瞰していきます。


すると、
「わたし」に対する執着が
ほぐれてきませんか?



「わたし」に対する執着が
ほぐれてきますと

上記①~⑤が治まってきます。


なぜならば
~~~~~~~~~~~~~~
守るべき、執着すべき
「わたし」が無いのですから

(無我)
~~~~~~~~~~~~~~


ですが、これらは読んで
頭の理屈だけでは
本当の理解は出来ません。


実際、専門家に
マンツーマンでついてもらい

正しい作法で
マインドフルネス仏式瞑想の
お稽古をつけてもらい


身体で潜在意識で
理解していきませんと

本当の意味で、
使えないと思います。



・・さて、禅問答で

「達磨不識(だるまふしき)」
というお話があります。


=================
時の中国の皇帝
「武帝」が達磨禅師に問いました。

(武帝)
「”わたし”はたくさんの寺を建立し、
たくさんのお布施、
写経などしてきました。
”わたし”にどんな功徳がありますか?」

(達磨さん)
「無功徳(功徳などないわ!)」

~中略~

(武帝)
ではそれを言う、目の前にいる
あなたは誰なんですか?

(達磨さん)
「不識!」 
(識(し)らぬわ!)

=================

*ちなみに戦国時代の名将
「上杉(不識庵)謙信」の「不識庵」は、
このエピソードからとった名前です。



日本文化ではよく

「無私の心で」とか
「わたくしごころ無く」

というのが
美徳とされています。


これはこういった
思想背景から
来たものかと思います。


分かりやすく言いますと、

例えば、
上記の「武帝さん」のように、

これ見よがしに、
ボランティアして「みせる」のは
周りから観ていて美しくみえますか?

「どうだ!わたしは
ボランティアしているんだぞ!
偉いだろう!」・・・と。


また
会社の上司がいると、
鬼の首でもとったように
仕事して「みせる」のは

周りから観ていて
美しくみえますか?



もちろん私達は
聖者じゃないので
ビジネスや日常で

多少は我(が:わたし)を
張らなければ
ならない時もあります。


完璧な「無我」や
「無私」になれないのが
浮世の現実です。


悟りすました顔で
キレイごとばかり言っていても

食べていけないのは
この世の現実です。


それがこの世。
穢土(えど)であり、
娑婆(しゃば)です。

(浮世離れした使えない
思想・哲学は要りませんね。
仏教瞑想というものは
現実社会をしっかり生きるためのものです)


これは俗世に生きる
俗人である以上、
しょうがないところでもあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・ですが本コラムの
冒頭に挙げた
「神経症的症状」が強く出た時

「わたし」を少し手放し、
緩めると

楽になり、とらわれなく
自由に動けるようになります。


*完璧な無我ではなく、プチ無我でよい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~


レキソタンなど抗不安薬とは
違った効き方をします。

思想・哲学、
心理療法は時に

化学薬品より
効いてしまう事もあります。


抗不安薬は即効性があるが
一時的な対症療法

(今現在の辛さを
とりあえず散らすのには非常に良い)


対して、心理療法は、
薬物療法のような即効性は無いが

じわじわ安定的に効きはじめ
やがては「根治」に至らしめる
「根治療法」


どちらが良くて、
どちらが悪いではなく、

薬物療法と心理療法の
「いいとこ取り」


お互いのメリットを活かした方法を
おすすめいたします。


そんな心理療法的生活を
続けていきますと

「わたし」という人生の重荷・
「着ぐるみ」から解放され

身軽になっていきます。


~本来無一物~
(ほんらいむいちもつ:禅のことば)


やがて長年の
うつ病・神経症(不安障害)
楽になっていき

「とらわれ」なく自由に
生きられるようになりますよ。







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【2012/08/20 01:35】 | 自我(我)ってなあに?
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クルーズママ
こんにちは!

私にとらわれないことという文章を拝見させていただいて、その通りだと思いました。

今の私最愛のクーちゃんがいなくなって可哀想な私にとらわれていると思いました。

なので抑うつ症状が消えないのですね。

電気信号ですね!
過度にとらわれないようにしてみます。

とらわれがなくなったら楽に生きられると思います。

いつもありがとうございます。

クーちゃんのこともありがとうございます!

Re: クルーズママさんへ
ショウセイ
クルーズママさん。コメントありがとうございます。


> 今の私最愛のクーちゃんがいなくなって可哀想な私にとらわれていると思いました。
> なので抑うつ症状が消えないのですね。


お気持ちお察しいたします。
クーちゃんがいなくなって悲しいです。

純粋なお気持ちは否定しなくてよいと思います。

たくさん悲しみましたら、今度はたくさん感謝しますと、
心が楽になってくると思います。

悲しみのエネルギーの対極は「感謝」ですので、
感謝のエネルギーで悲しみは中和されていきます。

私もクーちゃんから、たくさん学ばしていただきました。
クーちゃんに感謝です。

ママさんも素敵なブログありがとうございます。


> 電気信号ですね!
> 過度にとらわれないようにしてみます。


今回のコラムは神経症症状に
過度にとらわれている人向けに、あえて書いたお話しですが、

電気信号はホルモンも関わっています。
ストレスホルモンに対し、感謝の幸福ホルモンで中和します。
すると電気信号も安定していきます。


> いつもありがとうございます。
> クーちゃんのこともありがとうございます!


こちらこそありがとうございます。
今後もブログ楽しみにしていますよ。
応援していますからね(^^)


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非定型うつ病の特徴の一つ
「拒絶過敏性」



これは人のウワサ話や
人の評価、人の目線、
拒絶されたくない・・・など


過度に意識するようになり

社会生活に支障が出ている場合
「拒絶過敏性」と言えるかと思います。

特に対人関係で苦しみます。



マインドフルネス仏式瞑想や森田療法。
仏教の智慧で
これを緩やかにしていきましょう。


さて、私達の心が傷つくとき。
それは「自我(我)」が傷つくときです。

では、私達が大切にしている
自我(我)って何なのでしょうか?



それは脳で言うならば

過去のデータ、未来の予測・・
それら脳内データを統合し

「現在の自分はおそらく
こうだろう」という

「概念やイメージ」が
『我(が)』です。


分かりやすくいいますと、

「自分はこういう人間だ!
というイメージが自我(我)です」


人はこの脳内で
勝手に作った

「自我(我)」が
軽んじられると

「腹が立つ」「イライラする」
「不安になる」などなど・・・


この脳内で勝手に作り上げた
「自己イメージ」を守るために

一生振り回され、

ひどい人は鬱病や
神経症(不安障害)など
心の病になります。



脳が勝手に作り上げた
幻想やデータなのにね。

本来無いものを
勝手に脳内で編集し作り上げ

そんなものを守るために
必死になります。



私達は一体、何を守るために
必死になっているんでしょう。

鬱病・神経症の人は基本的に、

おかしなプライドが
高いケースが多い。


ですがそのプライドって
一体何なのでしょう。

本当に必死に守らなければ
いけないものなのでしょうか。


*仕事のプライドなどは
良いものを作ろうという
菩提心ですのでよいですが、

ここでは人生を不自由にする、
偏屈な、いらないプライドです。


「傷つきやすさ=おかしなプライドの高さ」


*また一見穏やかで、
おとなしそうな方でも

傷つきやすい人は
潜在的に「我(おかしなプライド)」が
強いケースがあるかと思います。

それを見て見ぬフリ
しているだけなんですね。
意識、無意識

自分の潜在意識の中の「悪(我)」を
直視できないから、人生苦しんでいます。

原因不明の抑うつ感に悩まされます。




~「プチ無我のススメ」~


さて、自分の心を苦しませる
「原因」が浮き彫りになりました。

それは「自我(我)の執着」

(森田療法では
「我執の病理」といいます)



次のステップは

その「我(が)」を
緩めていきましょう。



・・・ただ、

私達は山奥で
カスミを食べて生きている
仙人や聖者ではありません・・


俗世に生きる私達は、
完璧に無我には至れません。

私達は社会生活があり
仕事があります。

俗世を捨てる事はできません。

完璧に無我になったら
仕事が出来ません。



ですので「我(が)」を
完全に滅するのではなく

~~~~~~~~~~~~~~~
社会生活に支障が出ない程度に
『緩める』だけでOK。
~~~~~~~~~~~~~~~


プチ無我は、
日常生活で出来ます。

それだけで「劇的に」
生きるのが楽になります。


その具体策が
マインドフルネス仏式瞑想・
森田療法です。


プログラムを受け、
学習・修練し
数ヵ月しますと、

「人間関係が劇的に
楽になってきます」

「拒絶過敏性が
劇的に緩んできます」

「生きるのが抜群に
楽になってきます」



「私なんか
生まれてこなけりゃよかった・・」

と思う人。


マインドフルネス仏式瞑想や
森田療法は、

たとえ人生が、
どんなに恵まれない境遇でも

毎日が幸せになる
具体的方法論かと思います。




蓮2

----------------------------
蓮の花は

泥の中でこそ
美しく咲く

仏教の花
----------------------------


ずっと人生「おりこうさん」で
生きてきた人より、

人生の辛酸を舐め、
泥をかぶって生きてきた人の方が

美しく咲きます。



瞑想はそういった人達の
ためにあります。






【2012/08/28 09:48】 | 自我(我)ってなあに?
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無我
あお
参考になりました。

あるがままで、日々、過ごせるように、積み重ねていきます。

ありがとうございます。m(_ _)m(^-^)

Re: あおさんへ
ショウセイ
ごめんね。
ちょっと難しかったかなi-229

それではまた。
あるがままでいきましょう(^-^)


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マインドフルネスという心理療法は

仏教哲学や禅の思想がベースにある
特殊なジャンルの心理療法です。

*(心理臨床の世界では、第三世代の
新しいタイプの認知行動療法と位置付けされております)


一般的な「いわゆる」心理療法とは
全く違った角度から入っていきます。

ゆえに、「いわゆる」心理療法で治らなかった方が
回復していくケースも多々あります。


さて、
この心理療法がターゲットにするのは「我(が)」です。
↓(詳しい説明は過去のテキスト参照。全14話)
http://shinriryouhou.blog2.fc2.com/blog-category-66.html


分かりやすく言いますと
歪んだ自己愛や
おかしなプライドなどのこと。


例えば、会社で少し注意されただけでカッとなり
職場を転々としたり、

我(尊大なる歪んだ自己イメージ)が強すぎて
現実に適応できず、
どこの環境に行っても馴染めず、
トラブルを起こしたりします。


そういったパターンを繰り返し、
社会生活に馴染めず、やがて疲れ果て、
うつ病や神経症などの症状(サイン)を出します。

表面上の心理症状を除去しても
潜在意識レベルに、これ(我:が)が引っかかっていますと
人生の中で何度も、うつや神経症症状が顔を出します。



ですが・・・

かといって、私達一般人は
出家僧や聖者ではありませんから
「完璧な無我」にはなれませんし、ならなくてよい。


実際、社会生活していましたら
完璧な無我では仕事が出来ません。

(例えば、仏陀みたいな人が
車の営業マンやっていたら、車売れないでしょうに・・)

おかしなプライド(歪んだ自己愛の防衛)ではなく、
職人のよいプライド(誇り)なども、業務上必要です。
(これも加減の問題ですが)



確かに我(が)が
心の病(生き辛さ)の根本原因ですが、

パーフェクトな無我ではなく、

『我はあってもよいが、
「うつ病・神経症にならないレベルまで」
我が緩まればOK』


我はあってもよいが、
社会生活に支障のないレベルまで
緩まれば問題なし。

それで「結果、うつ病・神経症にならず」
普通に社会生活できれば正解かと思います。




もしパーフェクトな無我になりたかったら話は別。
出家して一生、
山にでも籠った方がよいかと思います。

(そういった生き方も否定はしませんが、
そういった一般人が不可能な理論は役に立たない)


「無我ではなく、我執をゆるめる」という事です。
(我に対する「執着」のこと)

出家僧のように、ストイックな無我ではなく、
「ゆるくプチ無我」くらいでよいかと思います。


その人、個人個人の我の「閾値(いきち)」
レッドゾーンがあります。

これを超えるレベルまで「我(が)が肥大」しますと
うつ病・神経症が発動します。



したがって、
その人の心の閾値を超えないレベルまで
我執を緩めていきますと、

生きるのが楽になり

心の病が治っていきます。


仏教哲学では

「一旦、自我(我)を確立し、その虚しさを知ったら
自我の要らない所を少しずつ捨てていく」

荷物(我:が)を少しずつ捨てていきますと
人生が軽くなっていき、

一定の量まで軽くなると(人それぞれの閾値があります)
精神の病が治っていきます。



ここが「自我(アイデンティティー)の確立」などを目指す
西洋式の方法論(カウンセリング手法など)とは真逆ですね。

また科学的に実証不可能な、
スピリチュアル的なものに対する、極端な執着も
結果的に心の病になる方もみえます。


そういった要らないものを
一つずつ捨てていく心理技術が
仏教哲学(伝統的マインドフルネス)の方法論です。

西洋哲学系の心理療法などで良くならない方は、

それとは違った角度(方法論)から入っていくのも
一つの手かと思います。


*逆に今、世界ではこういった「東洋(仏教哲学)系の心理療法」
(伝統的マインドフルネス、森田療法、内観など)が
注目されてきているのが、面白い現象ですね。

心理臨床の学術的な世界でも、
こういったムーブメントが起きてきております。

うつ病に対する
新しい全くアプローチです。




当心理カウンセリング(コーチング)・心理療法
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【2012/10/10 09:54】 | 自我(我)ってなあに?
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自分自身の「我(が)」が強く、
周囲との摩擦に苦しむ・・

そこで
「プチ無我」のススメ


さて、自我、エゴ、我(が)・・・
と呼ばれるものがあります。


しかし
私が私が・・と、

大切にしている「自我(我:が)」

もしも脳が作り上げた
単なる幻想(自己イメージ)だったら
どうしましょうか?


私たちは何を守るために
嫉妬し、恨み、怒り、絶望し、
イライラするんでしょう。

それは、実体のない
・「幻想の自己イメージ」を守るために・・
・「幻想の自己イメージ」が傷つかないように・・・


自我(我)という
脳が勝手に作り上げた自己イメージに
過剰に執着すると

ストレスが溜まりやすくなり
「うつ病」になります。
(我執の病理)

自我(我)という
単なる脳が作り上げた自己イメージを
「緩める」と生きるのが楽になります。



目をつむってみて・・・

呼吸を整えて・・


私が、私が・・・
「我(が)」という、
一生懸命しがみついている
幻想の自己イメージを


「消してみよう」・・・・


・・・無我・・


・・・



「廓然無聖!」(かくねんむしょう)

*達磨大師のことば
~雲一つ無い、カラリと晴れた青空~

廓然無聖


哲学者デカルトは、こう言いました。
「われ思うゆえに、われあり」・・・と

しかし、もう一歩踏み込むと

その「われ」も
瞬間瞬間、変化・変滅している
刹那的なもの
執着するに値しないもの


「わかよたれそ、つねならむ」
(いろはうた)

*我は常に我ではなく、常に変化・変滅している。
それは肉体も精神も。
そんな我は一体何なのでしょうね?


一生懸命大切にしている「われ」

しがみついて執着していても
毎瞬毎瞬、変化していく

今の「われ」は、
次の瞬間、もう過去のもの・・



しがみついても、
しがみつけないものに、

「しがみつこうとすることに」
矛盾が生じ、苦しくなります・・


おかしなプライド

頭の中で勝手に捏造した
尊大な自己イメージ・・・

仏式瞑想(マインドフルネス)を使って、
「そんな幻を、いっそ手放してみます」



慢性的な
うつ病・神経症が楽になる妙法にて。


・・・ただ、

俗世に生きる私たちは、
完全に「我(が)」を
消滅させる事は出来ませんので

個人個人の
病気にならないレベルまで、

「我」を少し緩めるだけで
抜群に、生きるのが楽になります。




【2012/10/11 15:32】 | 自我(我)ってなあに?
トラックバック(0) |
「自我(我)が苦しみの元」


うつ病の人は、
こんな思考になりがちです。

「私はなんて情けないんだ・・」
「あぁ、生きているのが恥ずかしい・・消えてしまいたい」

自我(我)に固執していますと
こういった発想になっていきます。


完璧であるはず、
なんでもできるはず、
もっと偉い、尊敬されるはずの自分が・・
現実は案外しょぼい

そのギャップに耐えられず
自分を他人を破壊したくなる

*また、普段は謙虚に振る舞っていても、
これらのものが「潜在意識下」に抑圧されている人も同様


「自我、我(が)」とは「自己イメージ」

「私は愛されるはず」・・・という自己イメージ
「完璧(優秀)であるはずの自分」・・・という自己イメージ

脳内で勝手に編集した
自己イメージが傷つきますと

うつ病になります。


自己イメージという
自分に対する勝手なレッテル

そんなものは
元々空想上のものであって
存在しないんですね。

自己イメージという「妄想、幻想」


元々無い物を
勝手に頭で捏造し

それに勝手に執着して
自ら苦しんでいきます


我(が)に対する執着の度合い
苦しみの度合いです。


我に執着すれば
苦しくなる

我の執着を緩めれば
楽になり朗らかになる


「無我」

まずは、コップに入った
濁ったお茶(我:自己イメージ)を捨ててしまいましょう


真の自由なココロ



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【2012/12/13 20:15】 | 自我(我)ってなあに?
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「自我は名札のようなもの」


私達の身体は、細かく細かくしていきますと
骨や肉・・細胞・・・分子、原子・・・
もっとミクロにしていきますと「素粒子」になります。

つまり私達の身体は
現れては消える・・・
「素粒子のあぶくの集合体」なんですね。


心、自我は
自分はこんな感じだろう・・といった
頭で作った自己イメージ。

もっというならば
特定パターンの電気信号が流れる
ニューロン(脳神経細胞)の群れ。


これらのものに不便なので
便宜上、名札を付けたのが
自我(我:が)、「わたし」です。

そして自我はミクロなレベルで
毎瞬毎瞬、変化変滅し移り変わっています。

科学的に厳密に言うならば
確固たる実体が無い。


仏教学(般若心経)で言うならば
「照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)」

*このような身体と心の集まり(人間)を
「五蘊(ごうん)」と言います。
しかし、五蘊など空(くう)である。
毎瞬移ろいでいる実体のないもの。
「わたし達」は移ろいでいく「プロセス」である。



さて、私達は、
そんなイメージ上の(偉いはずの、かわいいはずの、優秀なはずの・・)自分が
害されますと、怒ったり悲しんだりします。


その実体のない自己イメージに対する
「執着」が強ければ強いほど、
うつ病・神経症など「心の病」になります。


逆に「自我(我)」への執着を、緩めれば緩めるほど
心の病が治ってきます。



人はこの科学的、心理学的事実を認めたくなくて
あらゆる手段で「自我」を飾りたてます。

かわいそうな自分、美しい自分、賢い自分、
悲劇の自分、優遇されるべき自分・・・

その自己イメージの自分が強ければ強いほど
「おかしなプライド、自己愛」ばっかり高くなって
どんどん生きるのが辛くなってきます。


挙句の果てには
うつ病・神経症・パニック障害・摂食障害・・・
など心の病になります。


自我(我)という幻など

「丸めて、まんじゅうにして
茶飲んで食うてしまえ」

円相
*(これ食ふて、茶のめ : 禅僧、仙厓の書)


「自分で自分を不自由にしている私達」


・・・もちろん私達は仏陀のように、
完全に「無我」にはなれないけれど、

苦しみの正体「我(が)」少し緩めるだけで
生きるのが楽になっていきます



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【2013/02/06 07:26】 | 自我(我)ってなあに?
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「無我」
仏式瞑想・坐禅の究極の目的


・・・しかし、俗人である私達は
ホントに「無我」に至る事が出来るのでしょうか?

答えはNOです。


もし本当に完璧に無我を目指すのであれば
一生、山にでも籠ってください(笑)

私達は、それは無理です。
それは現実的ではない。
一般人は仕事・家庭・学校など社会生活があります。


じゃ、お釈迦さんは
一般の人達に、何の役にも立たない学問を作ったのか・・?

それもNOです。


私達、俗人は「無我」に至るのは無理ですが、

カチンコチンに凝り固まった
「我(が)」を少し緩めるだけで


心の病が治り、
生きるのが、ものすごく楽になるという事。



我(が)が作り出す「毒」
「おかしなプライド・思考の融通の利かなさ・頭の固さ・
頑固さ・偏屈な自己愛など・・・」


これらに「執着」すればするほど
人生が不自由になり、

これらが「人生の手かせ、足かせ」になり
私達をみえない幻の鎖で縛ります。

その行きつく果てが「心の病」である。


ですが、私達は山に籠る仙人じゃないんですから
多少の「我」が無いと業務に支障が出ます。

プライドなんかもそうですね。


おかしな偏屈なプライドは、人生に不幸をもたらしますが、
本当に業務に役に立てたい、仕事に活かしたいプライドは
日常生活で役に立ちます。

そのプライドは、
・偏屈な「我」から出たのか
・「菩提心」から出たのか、

厳密に精密に分類することです。


いいや。
「私は清らかで菩提心から出ました!」・・と言っても

瞑想で深く深く観察しますと、
実は「汚い我」が引っかかっていたり。。

それが心の病理の原因だったり・・
意識、無意識

瞑想により、潜在意識の
かなり深いところまで「炙り出します」

見たくなかった、
見て見ぬフリしていた自分の
「本当のココロ」を炙り出します。


「我」を整理整頓するという事です。
そして、いらないものは
さっさと粗大ゴミに捨てます(笑)


また、

じゃ「我(が)」を緩めていきますと
行きつく果ては・・

何にも感動せず、無感情、機械のような、
「家政婦のミタ」になってしまうのでしょうか?

それもNOです。


仏式瞑想や坐禅を真面目にコツコツ行っている人は
「底抜けに明るくポジティブになり、
ユーモアでパワフル・ダイナミック」
な人間になっていきます。

心の病で暗く沈んだ人生が
180度逆転します。

人生の9回ウラ、ツーアウトで、
逆転サヨナラホームラン。


お釈迦さんの学問は、
形而上学的な机上の空論や

立証不可能な非科学的な信仰ではなく
「現実的・科学的」

具体的な、うつ病・神経症の治し方や
具体的なストレス対処法。


それらが欧米の精神医学・心理臨床に組み込まれ、
横文字になり「マインドフルネス」になりました。


欧米では
「旧来型の認知行動療法ではなく」
「認知行動療法の新しい流れ」として
爆発的に広がっています。

マインドフルネスは仏教から生まれた
科学的な新しい心理療法です。


西洋式の「いわゆる現代心理学」に行き詰まり、
出るべくして出た・・と言っても過言ではありませんね



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【2013/02/21 06:14】 | 自我(我)ってなあに?
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「病院で治らなかったんです」

そうですか。


「カウンセリングでもよくなりませんでした」

おお。そうですか。


「〇〇療法でもよくなりません」

なるほど。そうですか。


はい。
おそらく、これが原因かもしれませんね。
↓(我が心の本当の病理)
http://shinriryouhou.blog2.fc2.com/blog-category-66.html



この「我(が)」という病巣は、
薬も一般的な西洋式カウンセリングも効きません

「私は偉いはずだ」
「私は頭がいいはずだ」
「私は愛されるべき人間だ」
「私に対し、その無礼な態度はなんですか」
「私が望めば、皆が私を助けてくれるはずだ」

などなど・・・

これらが「我(が)」という心の病巣です。


脳の中で勝手に作り上げた
尊大な自己イメージ。
おかしなプライド。

そして現実(事実)の自分は、案外ショボく、
現実と自己イメージの間で苦しみ葛藤する。


特に鬱の方は、
これが引っかかっているケースが多い。


もっとやっかいなのは、
これらが「潜在意識下に抑圧」されているパターン。

「いい人そうにみえる偽善者」
「もしくはいい人ぶっている人」が
実は一番病んでいます。

深層心理に
抑圧されているモノに気付いていません。
意識、無意識2

もしくは、本当は気付いているのだけど
見ようとしない。見て見ぬフリ。
臭い物にはフタをする。

実際そういった人は、
何らかの心の病を持っている方が多い。



この「我(が)」という病理に対する特効薬は、
お釈迦さんが作られた妙薬。具体的な行動療法

「仏式瞑想」(マインドフルネスや禅)です。

自分で自分を生きづらくしている
「とらわれ」がどんどん緩んできます。


・・ただ、私達俗人は、
完璧に無我にはなれません。


完璧に無我になってしまったら、日常業務が出来ません。

現実的でないものは、やらないほうがよいです。
私達は仕事や家庭、社会生活がありますので。


~「ちょい悪(ワル)のススメ」~


心のトラブルを抱えている方は、
「我を少し緩める」だけでOK。


別に、いい人にならなくてよいですし、
無我にならなくてもよいです。

上記のカラクリを知った上で
「ちょい悪(ワル)」くらいでOKかと思います。



・・・すると、
どんなカウンセリングや病院でも治らなかった人の、
心の病がメキメキ回復してきます。


東洋の伝統的マインドフルネス(西洋式のマインドフルネスとは違います)や
禅カウンセリングは、
病院などで行っている「いわゆる」西洋式カウンセリングと、
全く違った角度、方法論から入っていきます。


「マインドフルネス心理療法・森田療法」が、

病院やカウンセリング、各種セラピーを遍歴された方の
「終着駅」になるとよいですね。



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【2013/05/30 05:50】 | 自我(我)ってなあに?
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